9回目の311

3月11日。

 

2011年のこの日を思い出すと、私は震災直後から関わらせていただいた

ボランティア団体、SENDAI青い鳥プロジェクトのことを必ず考えます。

 

 

震災で進学を諦めざるを得ない高校生たちに100万円をプレゼントする

という活動に参加させていただき、

 

私も奈良や大阪、京都でチャリティイベントを開催しました。

 

 

そのSENDAI青い鳥プロジェクトを熊本から応援していた、

私の尊敬する人生の先輩でもある吉田しのぶさんが、

大分県の久住高原に開いた童心回帰農場という素敵な場所があります。

 

 

うちの娘が5年生の10月。

奈良で不登校気味になっていた時のことです。

 

あまりにも辛そうな娘を元気付けたくて、

突然思い立って車を飛ばして大分まで娘と2人で

行ったことがありました。

 

私1人で夜中高速をひたすら西へ向かって走っている真っ最中には、

「勢いで出発したけど、たどり着けるのか?」と

ちょっとヒヤヒヤしたりもしました。

 

 

眠くなったら、途中のサービスエリアで仮眠をして、

10時間以上かけて大分までドライブ。

 

 

 

突然の訪問にも関わらず、しのぶさんと、

しのぶさんと共に農場で活躍しているルン爺に

大歓迎してもらいました。

 

 

 

広大な久住高原の農場に作られたホビットみたいな横穴式のお家で、

娘と2人で寝袋に包まって眠った夜。

 

見渡す限りの空がゆっくりと明るくなっていく朝日。

私と娘にとって一生の宝物になる思い出です。

 

 

先日、久しぶりに映画「インサイトヘッド」を観ました。

 

主人公の女の子・ライリーにとって、

人生の核になるような出来事があると

その思い出が「コアメモリー」として彼女の人格を形成する

島になって脳内に存在するという話が出てきます。

 

 

 

観終わった後、娘が

「私にとって、久住高原にママが突然車を飛ばして連れて行って

くれた日のことは、私のコアメモリーになっている」と

言ってくれました。

 

 

あの時、いじめが続いて辛い思いをしていた娘からは

彼女本来の光が消えかかっていました。

親としてその姿を見るのは本当に怖かったです。

 

どうすれば、本来の明るさや強さを取り戻せるのか、

そのためなら、私は何だってやると思っていました。

 

 

ただ、久住高原で思いっきり遊び、のびのび過ごした1泊2日が終わり

奈良に帰ってくると、また娘はどんよりと落ち込んでいました。

 

正直言えば「せっかく大分まで行ったけど、

根本的な解決にはならないし、残念だな」と、

少し思っていました。

 

 

でも、あの時のことは私のコア・メモリーになっている

という娘の言葉で、残念だなと思った私が間違っていたことに

気づけました。

 

「あの久住高原への旅行は、娘の人格形成の島を作ってくれたのだ」

と思った時、泣きそうになりました。

 

 

あの時、突然思い立って行ってよかった。

そして、私たちを自由に過ごさせてくれたしのぶさん、ルン爺を始め、

久住高原童心回帰農園の大らかさに改めて感謝の気持ちが

沸き起こってきました。

 

 

当時、しのぶさんとルン爺は私と娘に言ってくれました。

「久住に引っ越してきたら?」と。

 

生きづらい子供達、居場所をなくした人たちが

過ごせる場所を作りたいと思っているという話もしてくれました。

 

 

童心回帰農場で栽培している絶滅危惧種のヤマブドウを使った

ワイナリーや、現在計画中の発酵工房など、

現代社会に馴染めない子供達が農業や手工業、創造的分野での

仕事を生業にして、生きる力をつけていくための場所に

したいと考えておられます。

 

 

本当に居場所が見つけられなかったら、

娘と久住高原に移住させてもらおうかなと、

あの時は半ば本気で思っていました

(その後まさかの沖縄への移住となりましたが 笑)。

 

少なくとも、この場所なら大丈夫と思えるところが

あるということに、私は大きな安心感を覚えていました。

 

 

 

現在、久住高原同心回帰農場では、

発酵工房を作るためのクラウドファンディングをしておられます。

 

おかげさまで、今うちの娘は楽しく通える学校に出会えて

毎日笑顔で過ごせるようになりましたが

(とはいえ、あの頃についた傷はまだ完全には

癒えていないのだろうなと思っていますが)、

娘のように生きづらさを感じている子達は

たくさんいるでしょう。

 

大自然に力をもらいながら、生きるすべを身につけていく。

そんなエネルギーある工房が生まれるはずです。

 

ご興味ある方は、ぜひクラウドファンディングのページ

ご覧になってみてください。

 

最後に、娘のコアメモリーになっている

久住高原童心回帰農場の写真も載せておきますね!

ホビットに出てきそうな横穴式おうち。電気もなく、充電式ランタンの灯りだけが頼りでした。
10月でしたが、高原の朝は震える寒さ。毛布にくるまりながら朝日を待ったのも、いい思い出です。
4月から中学生という歳の娘ですが、今でもブランコが大好き。久住高原の広大な風景に包まれながら乗るブランコに大興奮でした。これ、リアルハイジの気分ですよ!

最後の放送の後で

9月30日、私にとっての最後のFM COCOLO PACIFIC OASISで

沖縄へ移住する理由をお伝えしました。

ご存知ない方は、よければ

このエントリーの前半をお読みください。

最後のオンエアを終えた直後。 チームPACIFIC OASISでの記念撮影

 

 

デリケートな内容だったので、ラジオではオブラートに包んで

お話したつもりです。

それでも、そんな理由で辞めるのだと驚かれる方もいらっしゃるだろうと

スタッフ共々ある程度予想はしていました。

 

でも、予想をはるかに上回る反応が番組にも、私のSNSにも届き、

実はFacebookのメッセンジャーを通していただいたメッセージも

相当の数となりました。

その中の多くが「実はうちの子供もいじめられていて」とか

「うちの子も学校へ行けていなくて」

「私は中学3年間不登校でした」というような内容でした。

 

内容もさることながら、

驚いたのはその数。

まるで世の中の半分くらいの子供がいじめや不登校を

経験しているんじゃないの?

くらいの感覚になっちゃいました。

 

 

私がラジオの電波を通じてお伝えしたことをきっかけに、

「真美子さんだけにはお伝えしますが」とか

「コメント欄には書けませんのでメッセンジャーで」

といった書き出しで、たくさんの方々が

プライベートでの苦しい経験を教えてくれていたのでした。

 

 

そんなメッセージたちに

埋もれるようになっているのを見つけたのは、

奈良市の仲川げん市長からのご連絡。

 

市長と私の共通の友人が、ちょうどいいタイミングで

私のラジオを聴いてくれて、

私が沖縄へ行く理由を知り、

ショックを受けたことを綴ってくれていました。

 

無意識の差別感覚、「違う」というイメージの使い方の薄さ、

そして、もともと人は違っているわけだし

それを認めてなんとか生きていこうということを共有するのが

こんなにも難しいなんて。

 

というような、まさに私の言いたいことを的確に捉えた

投稿をしてくれていたんです。

 

それを読んだ、仲川げん奈良市長が、

「いじめ対策を大号令あげてやってきていたつもりだったのに

申し訳ない気持ちだ」ということを始め、

詳しいお話を聞かせてもらえないだろうかという内容の

連絡を下さったのです。

 

 

そして、先日、奈良市役所の市長室を訪ねました。

せっかく市長に話を聞いてもらえるのだから、これまでの経緯を

しっかり時系列で話せるようにしておこうと、前日の夜中まで

準備をしました。

 

娘のいじめが始まって、

学校との話し合いが定期的に開催されるようになってから、

学校とのやりとり、娘の言動、学校での出来事、

教師から言われたことなどをすべてノートに書いていたんです。

それを全て読み、お伝えしたいところを中心に時系列でまとめました。

つまり、久しぶりに娘の苦しかった時期のことを読み返したんです。

 

大人たち(教師たち)に囲まれて話すと「丸め込まれてしまうと感じる。

自分の言いたいことがちゃんと届いていない感じがする」と訴える娘に

「そんなこと言われて、先生は傷つきました!怒ってます!」

と逆ギレした女性教師。

こちらがもう1度話をして解決させようと思っているのに

学校では娘を無視し続け、しびれを切らした私が

校長室にその先生を呼び出してもらった時のこと。

いつまでたっても謝ることもなく

だんまりを決め込んだ女性教師に、

娘がボロボロと涙を流しながら

「先生、なんで無視するの?!」と言っても、

先生は無表情に黙っているだけだった時の悔しさ、もどかしさ。

 

物が隠されることが続き、教室の中にいるのが不安になり

居心地の悪さのあまり教室を飛び出した娘。

探しにきた男性教師が娘を見つけた瞬間、

「お前がこうやって出て行ったら、

俺はお前を探さなあかんねんぞ。

さっきまで職員室で丸つけしてたんや。

俺の時間返せ!」と

言ってきて唖然としたこと。

 

登校してすぐに同級生たちが娘の姿を認め

「なんであいつ来たん。うざ」とか「臭い」とか

言われたので、担任の先生の元へ走っていき、

「もう帰る。ママにお迎え来てもらってください」と

頼んだ朝。

出勤前に慌てて学校へ迎えに行き、娘を車に乗せた瞬間

車の中で娘が大声で泣き崩れたことなどなど・・・。

 

記憶に蓋をしていたことがドバッと飛び込んできて、

何度も涙をぬぐいながら時系列にまとめる作業をしました。

 

その甲斐あって、市長にはしっかり話を聞いていただけて、

実際に娘が不登校だった時に

私が考えたことなどもお話しできました。

 

例えば、学校に行けない子が、

家以外に安心できる居場所(フリースクールなど)の情報が

一元化されて提供されるとありがたいです、などなど。

子供のケアに精一杯の場合、

フリースクールを探して、連絡して、

予定の合う日に親子で見学に行くという作業すら

大変なこともあると思うのです。

少なくとも、私はそうでした。

 

 

それにしても・・・

思った以上に多いんですね。

学校の中で苦しんで、結局学校に行けなくなってしまう子供達が。

私がラジオでお話ししたことで、

意外と身近な方も同じような悩みを持っておられたり

かつて経験されたりしたんだということを初めて知りました。

 

こんなにたくさんおられるのに、表に見えてこない。

言いにくい雰囲気があるのだろうなと思いました。

言えないから余計に苦しいのだなと気づきました。

 

私も、娘がいじめられ始めた頃は、誰にも言っていませんでした。

こんなネガティブな話、職場ですべきじゃないと考えたり、

一時的なことで、しばらくしたら収まるんじゃないかと楽天的になったり、

こんな話して、モンスターペアレントって思われないかなぁとか、

言わない理由は幾つでもこじつけることができました。

 

でも、周りに話をし始めると、すごく親身に聞いてくれたり

職場でも「最近娘さん、どう?」って声かけてもらえたりして

少し気持ちが楽になりました(状況は変わらずとも)。

だって今思えば、

周りにもたくさん苦しんでいる子がいるんですもの。

他人事だなんて思えないはずなんですよね。

 

だから今、私がすごく気になっているのは、

子育て世代が、いじめや不登校などの子供さんを抱えて

心身ともに疲れている状況なのに「助けて」と言えない

状態になっていないのだろうかということ。

もっとみんな気楽に話せる場などがあればいいのになと思います。

 

 

「仕事に行く前に子供のお昼ご飯を用意しなきゃ行けないから

朝がバタバタで大変〜」

「そうよねー。給食食べてくれたらいいのにねえ・・・」

なんていう不登校の親アルアル(なのかな?)話ができるくらいの

カジュアルさで集えるような場所。

 

何も解決もしていないとはいえ、そういう場所で話ができれば

親の孤独は少し解消されることでしょう。

親の孤独が解消されれば、少しは余裕を持って子供と向き合える。

それだけでもちょっと楽になれるんじゃないかなと想像しています。

そしてそのような場所で、私みたいな人間が口火を切って話せば

「実はうちもなのー」ってわいわいできるのかもしれないって

思ったりもしています。

 

親も子もひとりぼっちにならないで、

みんなが機嫌よく幸せに暮らせるにはどうしたらいいのだろう。

私に何ができるだろう。

 

最後のオンエア、そして予想以上の反響をいただいて以来

ずっとそんなことを考えています。

そしてあのような話を電波を使ってさせてもらった以上、

これからも問題意識を持って、自分のできることを探していこうと

改めて決意しました。

仲川市長、ありがとうございました。