シカクもマルもサンカクも

電車に乗るとスマホ!という方も多いかもしれませんが、

ちょっと目線を上げると他の乗客の方や吊り広告が意外と

面白い観察対象になったりすることもありますよね。

 

そんな吊り広告の中に、

このキャッチコピーを時々見かけませんか?

 

シカクいアタマをマルくする。

 

多分、このキャッチコピーが考えられた当時は

わかりやすくていいフレーズだ!と

評判が良かったのではないかと想像されます。

 

夫と地下鉄に乗っていた時にこの広告を見た夫が言いました。

「このキャッチコピー、本当にいいのかなぁ?」と。

 

四角い頭はダメなのか?

丸い頭じゃないといけないのか?

 

ということが言いたかったようです。

 

今の私には本当にそれが刺さったんですね。

 

というのも、新しい職場で仕事を始めて7ヶ月少々。

一緒に働く仲間の中には、ラジオで働いていた時の

私の周りの人にはあまりいないタイプの方がたくさんいます。

緻密に、地道に、きちんとエビデンスを重ねて、まとめて、

分かりやすく提示できるタイプ、とでもいうのでしょうか。

彼らの仕事っぷりは、非常に深い思考力に支えられていて、

きっちりしていてブレがないことに驚かされます。

着実に、正確に、仕事を遂行する能力が抜群に高いのです。

 

ラジオの仲間がちゃらんぽらんだった訳ではないのですよ。

皆、とても責任感を持って仕事をしてくれていました。

すごく頼りにしていました。

ただ、能力の高い部分が別にあると感じます。

ラジオの仲間は、ものすごく発想力が高くて

非常にセンスが良くて、そのセンスを裏付ける知識も

適切な場所で使っていける人が多かったように思います。

 

今の職場で深い思考力を持つ仲間と同じ仕事をしていても、

私は、新しいアイデアを思いついたり、

違う角度から発展できないか考えてみたり、

なんかもっとワクワクできないかなーとか

思いつきや勢いで進めている部分が多いように思います。

 

どちらが四角いとか丸いとか、

いいとか悪いとかじゃないんです。

 

私には絶対にできない前者のような仕事っぷりの仲間が

いることで、本当に助けてもらっているのです。

私のような勢いとか思いつきばかり多用するタイプには

憧れの眼差ししかありません。

 

何が言いたいかといえば、

シカクいアタマをわざわざマルくすることもなければ、

マルいアタマをあえてシカクくすることもないんじゃないの?

ということなんです。

私の大好きな俳優の1人、ビル・マーレイがインタビューで

かつてこんな話をしていたそうです。

「You are the best person in the world to be YOU」

あなたであることを最も得意とするのはあなたしかいないんだよ。

 

あなたの良さを、無理に他の人の良さに合わせることはないし、

他の人の良さを、あなたと同じにする必要もない。

そもそもそんなことは不可能だと思うのです。

 

でも、学校教育の中で「みんなと同じ」ことをするのを期待され

できない子は「なんでできないの?」と叱られることもあります。

 

まぁ、うちの娘も典型的なそのタイプで、

みんなと同じことをするのが大の苦手。

それで何度も何度も壁にぶつかっています。

壁だけじゃないな・・・先生とも学校ともぶつかってきました(笑)。

 

私もたくさん悩んで、これでいいのだろうかと迷って、

娘とも学校とも様々な話をしてきました。

 

でも、誰から言われたわけでもなく

その人がその人らしくいた結果、

サンカクのアタマになったのなら、

そのサンカクのアタマがとても素敵だということを

親が認めないでどうするのだ!という気持ちに

時間をかけて到達しました。

それが正解かどうかなんてわかりませんが、

私はそう思うに至ったのであって、

この答えももちろん千差万別であってしかるべきです。

 

ただ、私からすると

サンカクのアタマの子供を持っている子が

シカクのアタマを良しとする学校で苦しんで、

いざ受験となったら今度はマルいアタマを目指そうなんて

言われたら、しんどいだろうなと思っただけのこと。

 

努力を放棄するとか、進歩しなくてもいいというのではなく、

自分らしさを失わせるようなことをしても

自分らしさは失われないし、

他の誰かにもなれないと言いたいだけなのです。

だから、みんな自分のできること、得意なことを

一生懸命やっていけばいいのになぁと

思ったという話です。

みんなが同じ形の頭じゃ、そもそも面白くないもの。

 

私は私と違う形のアタマを持つ人たちを心から尊敬するし

その人たちがいてくれること、助けてくれることに

感謝しかありません

(これからも助けていただく気持ち満々)。

 

そして、私も誰かにとってそんな存在になれるように

自分のヘンテコなアタマの形を磨いていくしかないと思うのです。

札幌での日々をようやく綴ります

沖縄から札幌への引っ越しが決まり、このブログでもお伝えして、

そこから放置すること4ヶ月・・・。

 

温かいコメントをくださった皆さん、

ブログを読んでくださった皆さん、

本当に本当に失礼しました。

 

8月の下旬に娘と共に札幌へ引っ越しました。

新千歳空港に着くとこんな雪国っぽいサインがお出迎えしてくれて、真夏にも関わらず北へ来た(ダジャレではない)のだなぁと実感。

 

沖縄に置いてきた臆病者のプディ子はんのことを

心配していたのですが、

9月には迎えに行くからねーと約束して

まずはお家の片付けに専念。

 

引っ越し当日の夕方、窓から見えた虹。実は沖縄に引っ越した日にも虹が見えたのですが、札幌でも同じく虹に迎えてもらえて、すごく嬉しかったことを覚えています。

 

今回、就職先であるAmazonからは、

家族の引っ越しの費用も出してもらえるという条件だったのですが

夫は当分沖縄に暮らすこともあり、

会社からの引っ越し費用は夫が札幌に来る時に

大型家具を運搬する際に使わせてもらおうと思い、

娘と私が当面必要なものを段ボール25箱くらいにまとめ

沖縄の郵便局からひたすら札幌に送りました。

あと、必要な家具なども私と娘の引っ越しに合わせて

届くように手配しました。

 

しかーし。

注文した家具が私と娘の到着よりも早く着いてしまい

「居住者不在」で返送されてしまったり、

来るはずの荷物が来るべき日に届かなかったり・・・。

引っ越し初日、私と娘は寝具が届かず、

段ボールを何枚も重ねた上で寝ました・・・。

(思ったよりは寝られたけど、翌日体が痛かった)

 

 

ちなみに9月に沖縄に迎えにいったプディ子はんは

ふてくされながらも私との再会を喜んでくれました。

札幌に着いてからは

少しだけ猫トイレやクローゼットに引きこもったものの

あとはウロウロと新しい家を探検し、

夜は私にくっついて眠り、

意外と早く慣れてくれました。

 

9月とはいえ、夜になると気温がきっちり下がるので

猫がくっついて寝ていても暑くないのが良かったです。

新しいお家でもくつろぎ始めたプディ子はん。彼女なりにゆっくり慣れてくれればいいと思っていましたが、予想以上の適応力を発揮してくれました。グッジョブ。

 

 

とにかく引っ越しして最初の数日間は

ひたすら家具を組み立て、段ボールの荷物を片付け、

なんとか暮らせる状態には持っていきました。

当時の私の腰痛はハンパなく、コルセットが手放せない状態。

その合間に娘の転校手続きなども済ませて、

気づけば私の入社日。。。

 

方向音痴の私は、30分余裕を持って家を出たのですが、

会社に着いたのは集合時間の10分前。

しかもビルの1階に迎えに会社の人が迎えに来てくれる

ことになっていたらしいのですが、

私は1人でエレベーターに乗って会社の受付まで行き、

そこで待っていたという別行動!!

 

一緒に入社した他のメンバーが揃ってエレベーターから上がってきて

「あれ?下で集合だったんですか?」と

すっとぼけた声を出したのが、

私と、私の上司にあたるマネージャーとの最初の会話でした。

 

 

初日は社内でオリエンテーション的な時間や

支給されるパソコンのセッティングやらに忙殺されました。

その途中で、マネージャーが

「明日から自宅で仕事してください」と一言。

 

え?右も左も上も下も分からないというのに、

明日から在宅勤務ですとーーー??

最初の数週間は研修で、それは社内で行われると思っていたため

張り切って1ヶ月分の通勤定期買っちゃったやーーん。

 

などなど悲喜こもごもありましたが、

半ば強制的にオフィスにいる人数を減らしている中

新入社員(しかも同期でぶっちぎり最年長)の私が

従わないわけにいきません。

 

不安しかないまま、支給されたパソコンを持って退社しました。

同期にもう1人、ママさんワーカーがいらして

(とはいえ、彼女は私より10歳近く年下)

2人で「不安しかないよね・・・」って言いながら

駅まで歩いたものです。

コルセットを巻いた腰痛がシクシク辛かったぜ・・・(笑)

 

 

翌日から研修が始まりました。

色々な人に「マミコさんはAmazonで何の仕事をしているの?」

と聞かれるのですが、

簡単に言うと、Amazonで販売をする、いわゆるセラーさん側に

関わるお仕事です。

お買い物をする人が、安心していい環境で楽しんでもらうためにも

販売する側のサポートやコンプライアンスの遵守は絶対必要で

毎日なかなかの緊張感を強いられる瞬間があります。

 

ラジオの世界で四半世紀ほど仕事をしてきた私にとっては

全くの未知なるお仕事。

研修中、そして実際の業務についてからも、

私本当にこの仕事やっていけるのか?と何度も思いました。

 

でも、オンラインでの研修にも関わらず

非常にアットホームで質問しやすい雰囲気があったり、

繰り返し自習できるシステムがあったりしたおかげで

なんとか業務に携われる状況に成長させていただきました。

 

実際に仕事をして思うのは、

若い会社であり、どんどん新しいチャレンジをする社会なので、

システムの変更や見直しもすごい頻度で行われます。

それこそ週単位で業務上のルールが変わったりもします。

その変化についていくこと、変化を理解して、

出来るだけ疑問点を早く解消することの大切さも

学びました。

 

家族との会話や、ラジオでのコングさんとのやり取りで

英語を使う機会はたくさんあったものの、

ビジネス用語のボキャブラリーが貧困だった私は

英語の壁にも苦労しました。

毎日知らない英語をノートに書き留めたり、

スマホの英語辞書アプリを常に開いた状態で自習をしたり。

最初の1ヶ月くらいは仕事に必要な文書を読むだけでも

途中で挫折しそうになったりしていました。

老眼加速中の目にも辛かった・・・。

 

それでも、少しずつ必要な英単語を覚えて、使えるようになり、

世界規模で送られてくる業務用メールの膨大な英語も

業務の合間に読んで対応できるようになってきました。

 

あと、長年マックユーザーだった私は

会社支給のWindowsの操作にも慣れなくて、

それにも泣かされました。

Outlookの設定が分からへーん!とか

右クリックの必要なタイミングが分からへーん!とか

そんなのしょっちゅうでした。

 

でも、とにかく必死でついて行くしかなく、

チーム最年長なので足を引っ張ってはいけないと

始業時は誰よりも早くログインして自習したり、

業務が終わってから夜もう1度復習したり、

翌日のやることを見直したり、

私ができることは時間をかけて能力を上げることしかありませんでした。

 

その甲斐あって、先月会社から

「Best new comer」の1人として賞をいただいたことは

本当に嬉しいことでした。

(もちろん他の賞もありますし、受賞したのは私だけではないですよー)

アラフィフの私でもまだ成長できるんだ!

って思えたのが何より嬉しかったです。

 

 

とはいえ、業務の最先端の難しいことを、

私が先頭切って理解して伝えて行くことは、控えめにいっても

ちっともできていません。

でも、私はマネージャーの業務がいっぱいいっぱいな時に

「お手伝いしましょうか」と声をかけたり、

チームで欠けていることに気付いた時に

「こういう機会を作ってみませんか?」と提案したりといった

隙間を埋めて行く役割が似合っているようです。

 

実は、入社翌日から在宅勤務が続いているチームで仕事をする中

圧倒的にコミュニケーションの機会が少なく、

オンラインでのコミュニケーションではどうしても

業務にまつわる堅苦しい話に終始してしまう環境を

すごく不自然に感じていました。

ある日思い切って「私たちには雑談が圧倒的に足りない!!」

「だから雑談のためだけの時間を作りたいです!」と

上司に勝手に企画書を送りつけました(笑)

 

Amazonに入社して、この会社のいいところだなと思う点の1つに

やりたいことがあれば、どんどん提案してねと言う文化が

浸透していることがあります。

ひらめきや、ちょっとした思いつきで、

こうしてみようか、ああしてみようか、と言う思いつきを

すぐ口にしたがる私にとっては本当にありがたい。

そしてそれをきちんと評価してくれる社風に乗っかりました。

もちろん、アカン提案は「うーん、これはちょっと難しいかな」

とやんわり却下されますが。

 

現在、同じチーム内のメンバーたちと雑談のためのグループを作り

みんなが好き勝手に喋れる時間を定期的に開催しています。

まだまだ足りないなぁと思うこともいっぱいありますし、

そんなことより本来の業務のスキルアップを図りなはれ、

という思いもあるのですが、

私にできることをやっていけばいい、と半ば開き直りのようであり

半ば私らしくいるための立ち位置のようなものを

見つけた気分にもなりつつあります。

 

まだ入社4ヶ月の私ですが、1つ1つ壁を超えて

きっとこれからもどんどんやってくる壁を前に

凹んだりもするのでしょうが、

まぁ何とか攻略してみようと、手を替え品を替え

やって行くことになるのでしょう。

 

私がラジオの世界で身につけた最大といってもいいスキルは

反省はするけど、長く落ち込まない、ということです。

ラジオの世界に入ったばかりの頃、

生放送で失敗をし(それほど大きな失敗でなくても)、

1週間近く落ち込んでいたことがありました。

当時週に1回の生放送を担当していたので、

「落ち込んだまま次のオンエアが来てしまう!これはダメだ」

と必死になって気持ちを切り替えたことを覚えています。

 

週に4日の生放送を担当し、週末はイベントで司会をし、

というような仕事になっていくと、

そんなに長いこと落ち込んでいられません。

落ち込んで得をする人は誰もいません。

私は仕事の時は「いつもご機嫌さん」でいることを

モットーにしていますので、なおさらです。

そこで、失敗した後は、とことん反省をして、

なぜ失敗が起こったのか、どうすれば起こらなかったのか、

次に同じ状況になった時はどう対応するのかなど

自己分析だけはしっかり行って、

それが終わったら完全にピリオドを打つ!

 

それでも気分が晴れない時は、

好きな映画を見るとか、お酒を飲むとか、漫画を読むとか、

何でもいいから簡単で楽しいことをします。

それで終わり!

 

こういうスキルが身についたことは、今の仕事にもとても

役に立っています。

新しい仕事に就いてからも失敗は何度もしました。

失敗の報告書の書き方も上手くなりました。

そこを自慢するなって感じですが。

 

私の若い同期の中には

失敗することによって、以前から練っていた

素晴らしい提案があるにも関わらず

「あんな失敗した自分が、こんな提案をするのは良くない」

と口を閉ざしてしまう人もいます。

 

そんなんもったいなーーーい!!

と思うのです。

失敗は失敗。終わったことは取り戻せない。

そこから学んでいくしかない。

だからと言って、もっと環境を良くするための提案や

仕事に役立ちそうなアイデアを封印するなんて

そんな罰を自らに与える必要はないと思うのです。

 

 

こんな風に思えるようになったのは

私が歳を重ねたせいでしょう。

私も彼らくらいの歳の頃には、もっと別の考えをしていました。

 

だからチーム最年長、おばちゃんパワーを発揮して、

「もっとみんなどんどん声に出していこう!!」と

いう雰囲気を作って行くことは

私だからできる役割だと思います。

「色々失敗しているマミコさんも平気でやっているんだから

私も、僕もやっていいのだ」と思ってもらえれば

そんなに嬉しいことはありません。

 

と、仕事にも少しずつ慣れてきて、

どんどん面白くなってきたところで、

夫も今月頭に、もう1匹のニャンコの

イジーとともに札幌に引っ越ししてきました!

やっぱり2匹揃うと、愛おしさ10倍。全然違う性格だけど、それなりにうまくやっています。可愛いコンビ。

 

現在夫は沖縄の職場の有給消化中で、

来月からは札幌の新しい職場での仕事が始まります。

家族3人、ニャンズ2匹、雪に囲まれた

真っ白の街で、時々喧嘩もしますが

基本笑って暮らしています。

 

 

札幌はとても美しく、

暮らしぶりは合理的で便利。

優しい人が多くて、気持ちよい日々です。

 

ようやくブログに手をつけられるくらいの余裕が

取り戻せました。

次の更新がいつになるかはわかりませんが、

こちらでも時々綴っていけたらと思っています。

 

長い文章、読んでくださってありがとうございました。

 

2020年12月19日(土)雪の降る札幌より

新たなチャレンジ

皆様にお知らせです。

 

新型コロナウィルスのために、生活が変わった方も少なくないと思います。

私の生活も変わりました。

沖縄に移住した去年の10月時点では、ほぼ毎月1回か2回は

関西でイベントの司会などの仕事が決まっていました。

このペースで関西と沖縄を行ったり来たりしながら

2拠点生活をしていけたらいいなと思っていました。

 

しかし、残念ながら今年2月の後半以降、

予定されていた全てのお仕事がキャンセル、または延期となってしまいました。

 

沖縄でも海外から移住してきた子供たちが

なかなか日本の学校に馴染めない現実を知り、

そういう子供たちが集まれるフリースクールのようなものを作ろうと、

外国人ママさん達と計画をしていました。

しかし、子供たちが集まる場所を増やすことはリスクがあるということで、

この計画も頓挫してしまいました。

つまり、私がやりたかったことが

どんどんできない状況になってしまったのです。

 

 

そんな時、たまたま夫がある会社の求人広告を見つけてきました。

20年以上フリーランスで働いてきた私ですので、

会社勤めなんてできるのか?と半信半疑でしたが、

ものは試しと軽い気持ちで履歴書を送ってみました。

 

2ヶ月半ほどかけてオンラインでの筆記試験や複数回の面接などを受け、

どういうわけか内定を頂いてしまいました。

勤め先はアマゾン・ジャパンです。

 

詳しい業務内容は差し控えますが、

アマゾンに出品するお店のサポート的なお仕事です。

全く畑違いのお仕事で内定を得られた理由は、

カスタマーをまず中心に考えるというアマゾンの基本理念に、

私が長年ラジオのお仕事の中でモットーにしてきた

「リスナーさんの方を向いて仕事する」

という考えが合致したことしか思い当たりません。

つまり、ラジオのお仕事をやってきた中で

大切なことに気づかせてくれたリスナーさんたちのおかげなのです。

 

そして、勤務先なのですが、これが笑ってしまうほど極端でして。

 

なんと、札幌勤務になりました!!

沖縄県から北海道。日本の南端から北端への大移動です。

当面、私は娘と2人で札幌で暮らします。

いつになるか分かりませんが、

いずれ夫も札幌へ移るつもりで考えてくれています。

 

人事の方に確認した限りでは、

司会業やナレーターなどの声を使ったお仕事を副業とすることは

認めてもらえるとのこと。

延期という状態でスケジュールを抑えてくださっている

イベント関係の司会のお仕事などは、

変わらずやらせていただきます。

 

8月の20日に札幌に引っ越します。

そして8月後半からは、

20年以上振りの会社員としてのお仕事をスタートさせます。

 

いやぁ、人生何があるか分かりませんね。

1年前の今頃はラジオのお仕事を辞めて、

沖縄に行くことが決まっていました。

まさか世界がこんな風にウィルスの脅威にさらされるようになるとは

想像もできませんでした。

でも、状況が変わったのですから、そこに適応していかねばなりません。

 

沖縄に来たことは、娘のためでもあり、

とても必要なことだったと思っています。

沖縄に暮らしたことで、娘には世界各地の友達との出会いがあり、

アメリカと日本のミックスという彼女のアイデンティティの土台が

できたように感じます。

自分のバックグラウンドに誇りを持ち、

自分の得意なことを伸ばすことの大切さを、

娘は沖縄で学んだように感じています。

 

そして私自身も、長年暮らしていた奈良を離れて沖縄へ来て、

全く見ず知らずの土地でもなんとか暮らしていけるという

自信を得ることができました。

だから「沖縄から札幌へ移住」と聞くと

ちょっと仰々しく感じてしまうかもしれませんが、

私は意外と軽やかに引越しの準備を進めています。

 

沖縄の美しい海、大きな夕日、

そしてこの土地で出会った友達など、

さよならするのが寂しいことは色々ありますが、

やりたかったことを諦めてここで悶々と暮らすよりは、

新たな土地での新たなチャレンジに、今は魅力を感じています。

 

 

本来ならば、お世話になった皆様、

仲良くしてくださっている方々に

直接おひとりずつお伝えするのが筋ではありますが、

内定が出てから移住までに

私が希望している期間より3週間ほど早く札幌に来て欲しいという

アマゾン側の都合により、バタバタとしております。

このような形でお伝えする無礼をお許しいただければ幸いです。

 

 

個人的には、私の食べ物の好みに合っているのは

日本では北海道がナンバーワンだと思っておりますので、

非常に楽しみにしております(食べ過ぎ注意!笑)。

 

北海道の皆様、どうぞよろしくお願いします。

 

まさか40代の後半になって、

トロピカルな気候も雪国の気候も体験できるとは思っておりませんでした。

沖縄で突然降り出す土砂降りのスコールに驚いたり、

何度見ても「キレー」と声を出してしまうほどの美しい海の

すぐそばに暮らしたりしたことは、一生の思い出です。

 

そしてまた、新たな魅力を、新しい土地で見つけることを

ワクワクしています。

 

自分の人生ながら、おもろいなぁとニヤニヤしております。

きっとおばあちゃんになった時(その時私はどこにいるんでしょう?)、

人生の思い出話のネタは尽きないなと自負しております。

 

 

まだまだこれから!ワクワクする方向へ歩いていきます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

小谷真美子

気持ちを温めるお家での過ごし方

沖縄への移住を決めた後、心友に言われました。

「絶対、リスナーさんやこれまでお仕事してきた人が、真美子さんどうしているかなと思った時に、ちゃんと真美子さんを探せる場所をネット上に作った方がいいよ。どんな人もアクセスできる真美子さんのサイトを作っておけば、そこに行けば真美子さんの近況が分かるようにしてあげて」。

 

正直、無茶苦茶忙しい時でした。

引越しの準備に、お世話になった方々との送別会がほぼ毎日。

おまけにラジオのレギュラーを辞めてから、沖縄へ引っ越すまでのおよそ3週間の間にも、イベント司会のお仕事をいくつも入れていただいていました。

 

その間にウェブサイトを作って、ちゃんと動かして行くなんて、無理〜。

 

と思いましたが、彼女のアドバイスは彼女の経験に基づいた、説得力あるものでした。

だからこの「コタニマミコドットコム」を沖縄に引っ越す前にしっかりと動かしておこうと決めて、なんとか間に合わせました。

 

最近、このサイトもそうですし、Facebookも含めて、当時のリスナーさんから「真美子さん、沖縄で元気にしているか気になって」とメッセージやコメントをいただくことが増えています。

 

思い出してくれて、本当に本当にありがたいです。

サイトを作って良かったと、改めて思っています。

友よ、素晴らしいアドバイスをありがとう♡

 

人と人とが直接会いにくくなってしまった今、こうして声をかけてもらえることはすごく心が温まるのだなと実感しています。そして、心温めてもらった私は、今度はそれをまた次に受け渡していきたいなとも思いました。

 

今、できることって限られているかもしれませんが、あの人どうしているかな、あの人元気かなと思ったら、メッセージを送ることくらいはできますよね。

また今度連絡取ってみよう、ではなくて、「今でしょ!」なんですよね。

 

最近は、実家の両親や、東京に暮らす兄一家に、小さな小包を送りました。沖縄のお土産を詰め込んだ箱です。

沖縄のアグー豚のカレーレトルトや、沖縄限定のシークワーサーなどのフェイスパック、そのほか、海ぶどうにマンゴージャムなど色々詰めています

 

本当は、両親と兄一家がゴールデンウィークに沖縄に遊びにきてくれることになっていました。私の父の80歳のお誕生日祝い(誕生日はずっと前に過ぎているのですが)も兼ねて、みんなで集まろうと、随分前から企画していました。女子大生になった姪っ子2人に久しぶりに会えるのも、すごく楽しみだったのにな。。。

 

それも全部キャンセルになってしまったので、せめて沖縄からのプレゼントだけでも届けようと思ったのです。自由に旅行には行けないけど、ご当地プレゼントって、ほんのちょっぴりでも日々の刺激になりますよね。

 

誰かに手書きの手紙を送ってみたり、近況報告の長いメールを送ってみたり。

いつもよりお家での時間が増えた今、そんな過ごし方も幸せだなと思うのです。

ユーモアから見える現状

緊急事態宣言が発出され、

ピリピリした雰囲気もありますが、

ちょっと違う視点でこのコロナウィルスの現状を

書いてみようと思います。

 

というのも、私の義父・義母は

コロナウィルス感染のホットスポット

アメリカで自宅引きこもり生活を続けています。

買い物も近所の若い人たちが行ってくれているということで

文字通り一歩も家から出ない日を続けています。

 

そんな義父から「ちょっと笑いもいるよね」と

メッセージをもらいました。

義父の友人が集めた、コロナウィルスに関する

アメリカ人のユーモアあるつぶやき集です。

 

例えば

*1

I used to spin that toilet paper like I was on Wheel of Fortune.

Now I turn it like I’m cracking a safe.

(前はトイレットペーパーを使うとき、抽選会用のホイールみたいに

ぐるぐる回して使っていたけど、今は金庫を開けるノブみたいに

細かくちょこちょこっと回してる)

 

Wheel of Fortune、こんなのですね。

 

*2

Still haven’t decided where to go for Passover

—– The Living Room or The Bedroom

(パスオーバーというユダヤの記念日に

どこに食べに行くかまだ決めていない。

・・・リビングか、寝室か)

 

 

*3

Home-schooling is going well.

2 students suspended for fighting

and 1 teacher fired for drinking on the job.

(家庭内学習はうまくいっている。

2人の生徒は喧嘩で停学中。

1人の先生は仕事中に飲んで解雇)

 

 

*4

Quarantine Day 5:

Went to this restaurant called THE KITCHEN.

You have to gather all the ingredients

and make your own meal.

I have no clue how this place is still in business.

(隔離生活5日目:

「台所」という名のレストランに行く。

全部食材を集めて、自分でご飯を作らねばならない。

このレストランがまだ営業中なのが信じられない)

 

 

*5

My body has absorbed so much soap and disinfectant lately

that when I pee it cleans the toilet.

(私の体はすごい量の石鹸と消毒薬を吸い込んでるから

トイレでおしっこしただけで、トイレが綺麗になるわ)

 

 

*6

I’m so excited — it’s time to take out the garbage.

What should I wear?

(超ワクワクしているの!ゴミを出しに行く日だ。

何を着ようかしら)

 

 

*7

Day 6 of Homeschooling:

My child just said “I hope I don’t have the same teacher next year”

…. I’m offended.

(家庭内学習6日目:

我が子に言われた「来年も同じ先生じゃあなければいいなぁ」。

ムカつく)

 

 

などなど。

あはは、想像できるわーというものもあれば、

それこそ、散歩に出ることもままならない、

1歩も家から出ない暮らしをリアルに感じるものもあって

その厳しさが伝わってきます。

 

私たちがもしその暮らしを強いられることになったら

どんな風になるのだろう。

そんなことを考えながら読みました。

 

今日の沖縄は気持ちの良いお天気。

朝から3回洗濯しましたが、どんどん乾いていきます。

この気持ちのいい空気だけ吸っていると

ロックダウンされた暮らしがどこか遠い場所で

起こっている出来事のように思ってしまいがちですが、

私たちもできる限り、外出はしないほうがいい。

沖縄県知事からも県民に対して

不要不急の外出を控えるようにというお達しが出ました。

 

自粛自粛でストレス溜まるー!!

と不満ばかり口にしそうになりますが、

これ以上状況が苦しくならないように、

今、我慢のしどきですね。

9回目の311

3月11日。

 

2011年のこの日を思い出すと、私は震災直後から関わらせていただいた

ボランティア団体、SENDAI青い鳥プロジェクトのことを必ず考えます。

 

 

震災で進学を諦めざるを得ない高校生たちに100万円をプレゼントする

という活動に参加させていただき、

 

私も奈良や大阪、京都でチャリティイベントを開催しました。

 

 

そのSENDAI青い鳥プロジェクトを熊本から応援していた、

私の尊敬する人生の先輩でもある吉田しのぶさんが、

大分県の久住高原に開いた童心回帰農場という素敵な場所があります。

 

 

うちの娘が5年生の10月。

奈良で不登校気味になっていた時のことです。

 

あまりにも辛そうな娘を元気付けたくて、

突然思い立って車を飛ばして大分まで娘と2人で

行ったことがありました。

 

私1人で夜中高速をひたすら西へ向かって走っている真っ最中には、

「勢いで出発したけど、たどり着けるのか?」と

ちょっとヒヤヒヤしたりもしました。

 

 

眠くなったら、途中のサービスエリアで仮眠をして、

10時間以上かけて大分までドライブ。

 

 

 

突然の訪問にも関わらず、しのぶさんと、

しのぶさんと共に農場で活躍しているルン爺に

大歓迎してもらいました。

 

 

 

広大な久住高原の農場に作られたホビットみたいな横穴式のお家で、

娘と2人で寝袋に包まって眠った夜。

 

見渡す限りの空がゆっくりと明るくなっていく朝日。

私と娘にとって一生の宝物になる思い出です。

 

 

先日、久しぶりに映画「インサイトヘッド」を観ました。

 

主人公の女の子・ライリーにとって、

人生の核になるような出来事があると

その思い出が「コアメモリー」として彼女の人格を形成する

島になって脳内に存在するという話が出てきます。

 

 

 

観終わった後、娘が

「私にとって、久住高原にママが突然車を飛ばして連れて行って

くれた日のことは、私のコアメモリーになっている」と

言ってくれました。

 

 

あの時、いじめが続いて辛い思いをしていた娘からは

彼女本来の光が消えかかっていました。

親としてその姿を見るのは本当に怖かったです。

 

どうすれば、本来の明るさや強さを取り戻せるのか、

そのためなら、私は何だってやると思っていました。

 

 

ただ、久住高原で思いっきり遊び、のびのび過ごした1泊2日が終わり

奈良に帰ってくると、また娘はどんよりと落ち込んでいました。

 

正直言えば「せっかく大分まで行ったけど、

根本的な解決にはならないし、残念だな」と、

少し思っていました。

 

 

でも、あの時のことは私のコア・メモリーになっている

という娘の言葉で、残念だなと思った私が間違っていたことに

気づけました。

 

「あの久住高原への旅行は、娘の人格形成の島を作ってくれたのだ」

と思った時、泣きそうになりました。

 

 

あの時、突然思い立って行ってよかった。

そして、私たちを自由に過ごさせてくれたしのぶさん、ルン爺を始め、

久住高原童心回帰農園の大らかさに改めて感謝の気持ちが

沸き起こってきました。

 

 

当時、しのぶさんとルン爺は私と娘に言ってくれました。

「久住に引っ越してきたら?」と。

 

生きづらい子供達、居場所をなくした人たちが

過ごせる場所を作りたいと思っているという話もしてくれました。

 

 

童心回帰農場で栽培している絶滅危惧種のヤマブドウを使った

ワイナリーや、現在計画中の発酵工房など、

現代社会に馴染めない子供達が農業や手工業、創造的分野での

仕事を生業にして、生きる力をつけていくための場所に

したいと考えておられます。

 

 

本当に居場所が見つけられなかったら、

娘と久住高原に移住させてもらおうかなと、

あの時は半ば本気で思っていました

(その後まさかの沖縄への移住となりましたが 笑)。

 

少なくとも、この場所なら大丈夫と思えるところが

あるということに、私は大きな安心感を覚えていました。

 

 

 

現在、久住高原同心回帰農場では、

発酵工房を作るためのクラウドファンディングをしておられます。

 

おかげさまで、今うちの娘は楽しく通える学校に出会えて

毎日笑顔で過ごせるようになりましたが

(とはいえ、あの頃についた傷はまだ完全には

癒えていないのだろうなと思っていますが)、

娘のように生きづらさを感じている子達は

たくさんいるでしょう。

 

大自然に力をもらいながら、生きるすべを身につけていく。

そんなエネルギーある工房が生まれるはずです。

 

ご興味ある方は、ぜひクラウドファンディングのページ

ご覧になってみてください。

 

最後に、娘のコアメモリーになっている

久住高原童心回帰農場の写真も載せておきますね!

ホビットに出てきそうな横穴式おうち。電気もなく、充電式ランタンの灯りだけが頼りでした。
10月でしたが、高原の朝は震える寒さ。毛布にくるまりながら朝日を待ったのも、いい思い出です。
4月から中学生という歳の娘ですが、今でもブランコが大好き。久住高原の広大な風景に包まれながら乗るブランコに大興奮でした。これ、リアルハイジの気分ですよ!

4ヶ月ぶりの再会!

FM COCOLOを離れて4ヶ月ほどが経ちました・・・。

時々メッセージなどのやりとりもしていましたし、

Facebookの投稿などで元気にしているのも知っていましたが、

ようやくおよそ4ヶ月ぶりの再会を果たしました。

 

我らがKamasami Kong!!

 

 

コングさんが昨年12月に古希のお誕生日を迎え、

そのメモリアルな誕生日をお祝いしなければ!と

これまでにもいつもお誕生日のたびに声をかけてくださっていた

天保山ギャラリーの皆様と集ってきました。

 

しかも、コングさんには、私が来ることは内緒。

 

待ち合わせのホテルのロビーでコングさんが私を見つけた時の顔ったら!

理想的な「びっくり仰天!」なお顔。

「ワオ!!マミコーー!!ナンテサプライズダー!!」とコングさん。

 

そこからは久しぶりのマミコング炸裂(笑)

美味しいご飯をいただきながら、

積もり積もった話に花を咲かせました。

嬉しい再会の場面を作ってくださった

天保山ギャラリーの社長さん、ありがとうございました!

 

その後は、デザートタイム。

コングさんのお誕生日ケーキを届けてくれたのは、

リッツカールトンホテルのキャラクター、リオン君。

 

その後、切り分けられたケーキを見てびっくり。

私のお誕生日もお祝いしてくださっていました。

リオン君が私にも届けてくれました♡
書かれていた言葉は嵐の曲のタイトル。 ちなみにコングさんのプレートには同じく嵐の「HERO」のタイトルが。

 

私だけではなく、

その場にいた11月から1月に誕生日を迎えた

ギャラリースタッフや画家さんも呼んで、

みんなでハッピーバースデー。

新しく入るスタッフには

「天保山ギャラリーファミリーへようこそ」のお祝い。

ものすごく幸せな空気が漂っていました。

天保山ギャラリーの社長さんのサプライズ上手は

前からちょくちょく感じていたのですが、

今回も愛情たっぷりのサプライズに驚きながら

とても幸せな気持ちにさせられました。

 

人を大切にするって、ちゃんと相手のことを知り、

相手が喜ぶことを一生懸命考えて、行動することで

すごく伝わるのだなと教えてもらいました。

いつもおもてなしをしていただいてばかりなので、

私もちゃんとご恩返しができる人になりたいなぁ。。。

 

 

久しぶりのコングさんは、やっぱりコングさんでした。

ダジャレを言い、甘いもの食べたらテンション上がる、

そして誰にも等しく優しい、レジェンドでした。

 

ちなみに先週の月曜日はコングさんを祝うパーティーを

FM COCOLOのみなさんで開催されていまして

私はそこにはビデオメッセージでしか参加できておらず

とても残念に思っていました。

今回、面と向かって「おめでとう!」が言えて本当に良かったです。

 

我らがラジオヒーロ。これからもお元気で♡

また会いましょう!

悩めよ乙女

2020年1月6日(月)。

今日から仕事始めという方も多いのでしょうね。

 

沖縄の大動脈でもある国道58号線には

「初荷」という赤い幕をつけたトラックが連なっていました。

 

おめでたいような、華やかな雰囲気が届いてきて

私の顔もほころんでいました。

 

 

そんな今日、娘の学校も3学期スタートです。

小学校生活最後になる学期です。6年生の3学期。

まぁ、この時期の子供は思春期真っ只中でややこしい

とも言えるわけで、娘も娘なりの凸凹と格闘しております。

 

 

彼女は5年生の時に、

生まれ故郷の奈良で、人種差別やイジメに晒されました。

アメリカ人の父親がいるというだけで

なぜ彼女の人格が否定されるような傷つけられ方をするのか

子供心に何度も考えたと思います。

 

 

そして沖縄に移住をして、

外国にルーツを持つお友達がたくさんできました。

彼らと一緒にいる時が1番楽だと娘は言います。

なぜなら、自分のままで居られるから、と。

私から見ても、彼らと一緒にいる娘は

自分が正しいと思うことを躊躇なく表現することができて

伸び伸びしているように見えます。

 

 

一方で、地元の公立の小学校に通う娘の

同級生のほとんどは、島生まれ、島育ちの子です。

私たち家族とは、暮らしてきた環境も知識も文化も違います。

私にはその違いが面白くて、色々調べてみたり、

地元の人に教えてもらったりすることを楽しんでいます。

だってこういう文化や環境の「違い」を知れば知るほど

自分の幅が広がって、価値観の多様性にも気づくチャンスが

増えますよね。なんとありがたい経験か。

40代後半になっても、まだまだ学びの日々です。

 

 

でも、最近気になるのは

子供達の中で蔓延する「同調圧力」。

みんなと同じじゃなきゃダメだ、というプレッシャー。

いつから子供たちはこんな不自由になってしまったのでしょう。

奈良にいても、沖縄にいても同じようなことを感じます。

 

 

 

沖縄生まれ、沖縄育ちの子が多いクラスの中で

「みんなと同じ」でいることは、奈良で生まれ育ち、

沖縄暮らしはまだ数ヶ月、という娘にとって

不可能でしかありません。

知識も足りなければ、経験してきたことだって違います。

もちろん親として私が娘に沖縄の文化を

教えられるはずもありません。

だから「同じであること」を期待されても、それに

応えることはまだまだ難しいわけです。

 

 

加えて、一部の人に限りますし、

ある程度の覚悟はしていましたが、

私たち一家が本土から来た、というだけで不快な人も

残念ながらおられるそうです

(地元の方が「そういう人は一定数いる」と教えてくれました)。

子供達の中にはその不快感をストレートに表現する子もいます。

もちろんそれはおかしいよと、

娘をかばってくれる子もいます(ありがたい!)。

 

 

同調圧力、そして「よそ者」扱い・・・。

こうしたチクチクに晒されることもありつつ、

娘がありのままで一緒に過ごせる友達に助けてもらいながら

暮らしています。

 

 

そんな娘と昨夜ゆっくり語り合う中で

実感したことがありました。

あぁ、この子は今、自分というアイデンティティを作る

真っ最中なのだなぁと。

 

「○○さんのおじちゃんはすごくすごくいい人で

とても優しいけど、怒った時なんかは特にキッツイ言葉遣いで

あれは真似したくないなぁと思う」とか

「△△さんは勉強家だし、努力もすごくしているのが伝わる。

ただ、なんとなく視野が狭い気がするんだよね」

などと、生意気発言全開で、

周りの大人を分析しています。

 

 

私もそうだったなぁと思い出しました。

将来、子供に「早くしなさい」と言う大人にはならないと

せっかちな母を見て思ったり。。。

というのも当時の私はすごくノロマで、

何をするのにも時間がかかっていました。

母は私に「早く」と言い、当時の私は

「これでも急いでるのに!」と思っていたのです。

当時の私も、今の娘と同様、

身近な大人に対しての批判的な目を持ちながら

自分はどんな大人になりたいかを考えていたのでした。

とか言いながら、実際は娘に「はーやーくーーー!!」とか

言っちゃう母になってしまってますが。とほほ。

 

 

この1年半ほどの間は、娘にとって

ユダヤ系アメリカ人と日本人の両親に生まれた自分、

本州、関西で生まれ育った自分、

ということを、嫌が応にも実感させられる日々だったはずです。

しかも「周りと違う」という理由で始まる嫌がらせのせいで。

それは彼女を苦しめ、自己肯定力を下げることもありました。

 

何度も娘は言っていました。

「なんで同じじゃなきゃいけないの?」と。

私は常々、エースの4番ばかり9人集めたって、

野球チームとして成り立たない!と言います。

足の速い選手、投げるのが得意な人、大きな声で応援できる選手、

など色々な人がいるからいいチームになるんじゃないの?って。

補え合えるから、強くなれるんじゃないの?って。

だから「みんな同じでいることが良い」と思うなんて

ナンセンスだ!!という考えのもと、子育てをしています。

まぁ、そんな親に育てられている娘に「みんな同じ」を

求めても、できませんよねぇ。

もともと個性の強いタイプだし。

そして大人になれば、その「違い」を活かすことができる。

その「違い」を認めてくれる人はもっと増えるよと

ずっと娘には伝えています。

 

彼女にとって、どの地に暮らしても

この思春期は決して楽な時期ではないのかもしれません。

でも、「自分ってどういう人なのか」

「どんな大人になりたいのか」ということを

具体的に考え始める年齢になってきた彼女には、

ここまで経験してきた「違い」を実感する出来事が

自分を客観視する目線に繋がっているのだなとも感じています。

 

 

そうやってアイデンティティを築いていけばいいのさ。

もちろん今「こういう大人になりたいな」という思いは

成長するに従ってどんどん上書きもされていくし、

結果的にはイメージしていた大人と全然違うタイプに

なるのかもしれない。

でも、そのプロセスが自分を作っていくのだよ。

だから、しっかり悩めよ乙女。

 

私はそんな風に娘を眺めています。

 

 

 

助けてくれる友達、理解し合える仲間を大切にしてほしい。

人生はやり直しが効くし、正解不正解だけで判断なんてできない。

まだまだ迷ったり、Uターンしたり、

地図を広げて立ち止まったりすることだらけだと思うけど、

それも大切なプロセス。

最短距離で歩こうとしなくていいよ。

 

 

なんてことを思っています。

私だってええ歳なのに、未だ迷ったり転んだりしています。

決して器用なタイプとは言えない娘は、これからの人生

途方に暮れてしまうことも何度もあるでしょう。

逆に調子に乗って周りの風景を見ることなく暴走することも

ありそうです(笑)

 

そんな時、

真横を伴走して地図を一緒に見てあーだこーだ言う親よりは、

道を照らす街灯になったり、

足を止める石ころになったり、

その程度の存在で見守っていける親でいたいなと思います。

彼女の人生の道は彼女が歩くものですから。

 

 

「家族は文化の最小単位」と、

大学の家族社会学の授業で習いました。

今はその言葉の意味が実感できるようになりました。

夫が両親から受け継いだ文化、

私が両親から受け継いだ文化、

それが合わさって我が家の文化になっていき、

それが娘の文化になっていく。

 

だから、誰かと同じなんてことはあり得ないのです。

だけど、誰かと違うから、混じり合うことができない

ということでもないと思います。

「違い」は楽しむことも、愛することも、面白がることも、

そして融合して何か別のものを生み出すこともできると

私は信じています。

 

娘が将来誰かと出会って、家族になる日が

来るかもしれません。

その時はその人と一緒に彼らの文化を作っていくことになるでしょう。

 

そして私はその時、私とはまた違う文化を作り出した娘のことを

面白がり、誇りに思うに違いありません。

あけましておめでとうございます

2020年、明けました。

明けて3日目で、ようやくこちらで新年のご挨拶です。おそ。

 

2020年、ちょっとずつ新しいことを始めていこうと思っています。

その1つとしてビデオ日記を始めることにしました。

 

日記、と言っても

新年のご挨拶を1月3日になってからアップする女ですから、

毎日アップするはずがございません。

時々だけど日記です。

 

昨年9月末にラジオのお仕事を離れてから、

今日に至るまで、本当にたくさんの方からSNSなどを通じて

メッセージをいただいております。

その中には本当に本当にありがたいことに

「真美子さんの声が聴けなくなって寂しい」というものが

とてもたくさんありました。

みなさん、優しい。本当にありがとうございます。

 

ラジオの電波を通してという形ではありませんが、

今や誰もが発信できる、世界77億人 総メディア社会です。

というわけで、私もあんまり使っていないYouTubeアカウントを使い

このサイトに私の小さな日常を写したビデオを時々UPしていきます。

 

というわけで、第一弾はこれ!

Happy New Year from Okinawa 2020

 

本年もどうぞよろしくお願いします。

 

小谷真美子

季節のご挨拶

12月も気づけば後半に突入です。

私が沖縄に引越して、丸2ヶ月が経とうとしています。

 

沖縄に来てから、色々な国の方、また色々な国に住んだことのある方と

お話する機会が少しずつ増えています。

 

そんな方々と最近こんなご挨拶が繰り返されます。

「あなたのお家ではクリスマスのお祝いはするの?」

 

 

宗教的な色は全くないけど、クリスマスが好きな人が多いから

子供のいる家にサンタが毎年来るよという方、

クリスチャンじゃないから全く祝わないというお国の方、

もちろん教会に行ってクリスマスの夜は家族で過ごすという方など

様々な回答が出てきて面白いです。

 

うちは「基本的にはユダヤのハヌカをお祝いするのだけど、

日本っぽいクリスマス(宗教色ゼロ)っぽい過ごし方はするかな」

という答えをしています。

 

そんな会話の中、私が1番面白いなと思ったのは

「私はソ連で育った」という方のお話。

彼女が子供の頃のソ連では、政教分離が厳しかったので

クリスマスを表立ってお祝いすることは禁じられていたとのこと。

だから、「Father Frost」(いわば、「霜のおっさん」)という名前の

おっちゃんがお正月にやってきてプレゼントをくれるという形で

冬を盛り上げていたのよ、というお話。

見た目もサンタさんそっくり。

霜のおっさんの衣装はブルーですが、

白いひげもサンタやんかーっていう出で立ち。

霜のおっさん、いや、Father Frost

 

 

沖縄のあったかいクリスマスも、私にとっては不思議なのですが、

世界各地のクリスマス事情もいろいろ聞けて、

楽しいクリスマスシーズンです。

 

 

そんな中、今日はクリスマスクッキング教室へ行ってきました。

美味しいクリスマスチキン(パプリカ添え)に、

野菜出汁たっぷりのスープ、

クリスマスデコレーションのパンケーキ、

というメニューを作ってきました。

パプリカをクッキー型でくりぬいたり、

野菜出汁のスープに加える卵にパルメザンチーズを入れたり、

「なるほど!」と思うアイデアも色々教わりました。

チキンの皮がパリパリで、しっかり中まで味がしみていて、とても美味しかったです!これは早速家で試そう。

 

 

 

とまぁ、クリスマス気分いっぱいの投稿をしましたが、

私は明日20日からクリスマスイブまで関西で過ごします!

今回は、素敵なクリスマスパーティーの司会&

専門用語満載のナレーション収録のお仕事を兼ねての帰還です。

関西でお会いする方、どうぞよろしくお願いします!

 

そして、皆様、素敵なクリスマスを♡