新たなチャレンジ

皆様にお知らせです。

 

新型コロナウィルスのために、生活が変わった方も少なくないと思います。

私の生活も変わりました。

沖縄に移住した去年の10月時点では、ほぼ毎月1回か2回は

関西でイベントの司会などの仕事が決まっていました。

このペースで関西と沖縄を行ったり来たりしながら

2拠点生活をしていけたらいいなと思っていました。

 

しかし、残念ながら今年2月の後半以降、

予定されていた全てのお仕事がキャンセル、または延期となってしまいました。

 

沖縄でも海外から移住してきた子供たちが

なかなか日本の学校に馴染めない現実を知り、

そういう子供たちが集まれるフリースクールのようなものを作ろうと、

外国人ママさん達と計画をしていました。

しかし、子供たちが集まる場所を増やすことはリスクがあるということで、

この計画も頓挫してしまいました。

つまり、私がやりたかったことが

どんどんできない状況になってしまったのです。

 

 

そんな時、たまたま夫がある会社の求人広告を見つけてきました。

20年以上フリーランスで働いてきた私ですので、

会社勤めなんてできるのか?と半信半疑でしたが、

ものは試しと軽い気持ちで履歴書を送ってみました。

 

2ヶ月半ほどかけてオンラインでの筆記試験や複数回の面接などを受け、

どういうわけか内定を頂いてしまいました。

勤め先はアマゾン・ジャパンです。

 

詳しい業務内容は差し控えますが、

アマゾンに出品するお店のサポート的なお仕事です。

全く畑違いのお仕事で内定を得られた理由は、

カスタマーをまず中心に考えるというアマゾンの基本理念に、

私が長年ラジオのお仕事の中でモットーにしてきた

「リスナーさんの方を向いて仕事する」

という考えが合致したことしか思い当たりません。

つまり、ラジオのお仕事をやってきた中で

大切なことに気づかせてくれたリスナーさんたちのおかげなのです。

 

そして、勤務先なのですが、これが笑ってしまうほど極端でして。

 

なんと、札幌勤務になりました!!

沖縄県から北海道。日本の南端から北端への大移動です。

当面、私は娘と2人で札幌で暮らします。

いつになるか分かりませんが、

いずれ夫も札幌へ移るつもりで考えてくれています。

 

人事の方に確認した限りでは、

司会業やナレーターなどの声を使ったお仕事を副業とすることは

認めてもらえるとのこと。

延期という状態でスケジュールを抑えてくださっている

イベント関係の司会のお仕事などは、

変わらずやらせていただきます。

 

8月の20日に札幌に引っ越します。

そして8月後半からは、

20年以上振りの会社員としてのお仕事をスタートさせます。

 

いやぁ、人生何があるか分かりませんね。

1年前の今頃はラジオのお仕事を辞めて、

沖縄に行くことが決まっていました。

まさか世界がこんな風にウィルスの脅威にさらされるようになるとは

想像もできませんでした。

でも、状況が変わったのですから、そこに適応していかねばなりません。

 

沖縄に来たことは、娘のためでもあり、

とても必要なことだったと思っています。

沖縄に暮らしたことで、娘には世界各地の友達との出会いがあり、

アメリカと日本のミックスという彼女のアイデンティティの土台が

できたように感じます。

自分のバックグラウンドに誇りを持ち、

自分の得意なことを伸ばすことの大切さを、

娘は沖縄で学んだように感じています。

 

そして私自身も、長年暮らしていた奈良を離れて沖縄へ来て、

全く見ず知らずの土地でもなんとか暮らしていけるという

自信を得ることができました。

だから「沖縄から札幌へ移住」と聞くと

ちょっと仰々しく感じてしまうかもしれませんが、

私は意外と軽やかに引越しの準備を進めています。

 

沖縄の美しい海、大きな夕日、

そしてこの土地で出会った友達など、

さよならするのが寂しいことは色々ありますが、

やりたかったことを諦めてここで悶々と暮らすよりは、

新たな土地での新たなチャレンジに、今は魅力を感じています。

 

 

本来ならば、お世話になった皆様、

仲良くしてくださっている方々に

直接おひとりずつお伝えするのが筋ではありますが、

内定が出てから移住までに

私が希望している期間より3週間ほど早く札幌に来て欲しいという

アマゾン側の都合により、バタバタとしております。

このような形でお伝えする無礼をお許しいただければ幸いです。

 

 

個人的には、私の食べ物の好みに合っているのは

日本では北海道がナンバーワンだと思っておりますので、

非常に楽しみにしております(食べ過ぎ注意!笑)。

 

北海道の皆様、どうぞよろしくお願いします。

 

まさか40代の後半になって、

トロピカルな気候も雪国の気候も体験できるとは思っておりませんでした。

沖縄で突然降り出す土砂降りのスコールに驚いたり、

何度見ても「キレー」と声を出してしまうほどの美しい海の

すぐそばに暮らしたりしたことは、一生の思い出です。

 

そしてまた、新たな魅力を、新しい土地で見つけることを

ワクワクしています。

 

自分の人生ながら、おもろいなぁとニヤニヤしております。

きっとおばあちゃんになった時(その時私はどこにいるんでしょう?)、

人生の思い出話のネタは尽きないなと自負しております。

 

 

まだまだこれから!ワクワクする方向へ歩いていきます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

小谷真美子

気持ちを温めるお家での過ごし方

沖縄への移住を決めた後、心友に言われました。

「絶対、リスナーさんやこれまでお仕事してきた人が、真美子さんどうしているかなと思った時に、ちゃんと真美子さんを探せる場所をネット上に作った方がいいよ。どんな人もアクセスできる真美子さんのサイトを作っておけば、そこに行けば真美子さんの近況が分かるようにしてあげて」。

 

正直、無茶苦茶忙しい時でした。

引越しの準備に、お世話になった方々との送別会がほぼ毎日。

おまけにラジオのレギュラーを辞めてから、沖縄へ引っ越すまでのおよそ3週間の間にも、イベント司会のお仕事をいくつも入れていただいていました。

 

その間にウェブサイトを作って、ちゃんと動かして行くなんて、無理〜。

 

と思いましたが、彼女のアドバイスは彼女の経験に基づいた、説得力あるものでした。

だからこの「コタニマミコドットコム」を沖縄に引っ越す前にしっかりと動かしておこうと決めて、なんとか間に合わせました。

 

最近、このサイトもそうですし、Facebookも含めて、当時のリスナーさんから「真美子さん、沖縄で元気にしているか気になって」とメッセージやコメントをいただくことが増えています。

 

思い出してくれて、本当に本当にありがたいです。

サイトを作って良かったと、改めて思っています。

友よ、素晴らしいアドバイスをありがとう♡

 

人と人とが直接会いにくくなってしまった今、こうして声をかけてもらえることはすごく心が温まるのだなと実感しています。そして、心温めてもらった私は、今度はそれをまた次に受け渡していきたいなとも思いました。

 

今、できることって限られているかもしれませんが、あの人どうしているかな、あの人元気かなと思ったら、メッセージを送ることくらいはできますよね。

また今度連絡取ってみよう、ではなくて、「今でしょ!」なんですよね。

 

最近は、実家の両親や、東京に暮らす兄一家に、小さな小包を送りました。沖縄のお土産を詰め込んだ箱です。

沖縄のアグー豚のカレーレトルトや、沖縄限定のシークワーサーなどのフェイスパック、そのほか、海ぶどうにマンゴージャムなど色々詰めています

 

本当は、両親と兄一家がゴールデンウィークに沖縄に遊びにきてくれることになっていました。私の父の80歳のお誕生日祝い(誕生日はずっと前に過ぎているのですが)も兼ねて、みんなで集まろうと、随分前から企画していました。女子大生になった姪っ子2人に久しぶりに会えるのも、すごく楽しみだったのにな。。。

 

それも全部キャンセルになってしまったので、せめて沖縄からのプレゼントだけでも届けようと思ったのです。自由に旅行には行けないけど、ご当地プレゼントって、ほんのちょっぴりでも日々の刺激になりますよね。

 

誰かに手書きの手紙を送ってみたり、近況報告の長いメールを送ってみたり。

いつもよりお家での時間が増えた今、そんな過ごし方も幸せだなと思うのです。

ユーモアから見える現状

緊急事態宣言が発出され、

ピリピリした雰囲気もありますが、

ちょっと違う視点でこのコロナウィルスの現状を

書いてみようと思います。

 

というのも、私の義父・義母は

コロナウィルス感染のホットスポット

アメリカで自宅引きこもり生活を続けています。

買い物も近所の若い人たちが行ってくれているということで

文字通り一歩も家から出ない日を続けています。

 

そんな義父から「ちょっと笑いもいるよね」と

メッセージをもらいました。

義父の友人が集めた、コロナウィルスに関する

アメリカ人のユーモアあるつぶやき集です。

 

例えば

*1

I used to spin that toilet paper like I was on Wheel of Fortune.

Now I turn it like I’m cracking a safe.

(前はトイレットペーパーを使うとき、抽選会用のホイールみたいに

ぐるぐる回して使っていたけど、今は金庫を開けるノブみたいに

細かくちょこちょこっと回してる)

 

Wheel of Fortune、こんなのですね。

 

*2

Still haven’t decided where to go for Passover

—– The Living Room or The Bedroom

(パスオーバーというユダヤの記念日に

どこに食べに行くかまだ決めていない。

・・・リビングか、寝室か)

 

 

*3

Home-schooling is going well.

2 students suspended for fighting

and 1 teacher fired for drinking on the job.

(家庭内学習はうまくいっている。

2人の生徒は喧嘩で停学中。

1人の先生は仕事中に飲んで解雇)

 

 

*4

Quarantine Day 5:

Went to this restaurant called THE KITCHEN.

You have to gather all the ingredients

and make your own meal.

I have no clue how this place is still in business.

(隔離生活5日目:

「台所」という名のレストランに行く。

全部食材を集めて、自分でご飯を作らねばならない。

このレストランがまだ営業中なのが信じられない)

 

 

*5

My body has absorbed so much soap and disinfectant lately

that when I pee it cleans the toilet.

(私の体はすごい量の石鹸と消毒薬を吸い込んでるから

トイレでおしっこしただけで、トイレが綺麗になるわ)

 

 

*6

I’m so excited — it’s time to take out the garbage.

What should I wear?

(超ワクワクしているの!ゴミを出しに行く日だ。

何を着ようかしら)

 

 

*7

Day 6 of Homeschooling:

My child just said “I hope I don’t have the same teacher next year”

…. I’m offended.

(家庭内学習6日目:

我が子に言われた「来年も同じ先生じゃあなければいいなぁ」。

ムカつく)

 

 

などなど。

あはは、想像できるわーというものもあれば、

それこそ、散歩に出ることもままならない、

1歩も家から出ない暮らしをリアルに感じるものもあって

その厳しさが伝わってきます。

 

私たちがもしその暮らしを強いられることになったら

どんな風になるのだろう。

そんなことを考えながら読みました。

 

今日の沖縄は気持ちの良いお天気。

朝から3回洗濯しましたが、どんどん乾いていきます。

この気持ちのいい空気だけ吸っていると

ロックダウンされた暮らしがどこか遠い場所で

起こっている出来事のように思ってしまいがちですが、

私たちもできる限り、外出はしないほうがいい。

沖縄県知事からも県民に対して

不要不急の外出を控えるようにというお達しが出ました。

 

自粛自粛でストレス溜まるー!!

と不満ばかり口にしそうになりますが、

これ以上状況が苦しくならないように、

今、我慢のしどきですね。

9回目の311

3月11日。

 

2011年のこの日を思い出すと、私は震災直後から関わらせていただいた

ボランティア団体、SENDAI青い鳥プロジェクトのことを必ず考えます。

 

 

震災で進学を諦めざるを得ない高校生たちに100万円をプレゼントする

という活動に参加させていただき、

 

私も奈良や大阪、京都でチャリティイベントを開催しました。

 

 

そのSENDAI青い鳥プロジェクトを熊本から応援していた、

私の尊敬する人生の先輩でもある吉田しのぶさんが、

大分県の久住高原に開いた童心回帰農場という素敵な場所があります。

 

 

うちの娘が5年生の10月。

奈良で不登校気味になっていた時のことです。

 

あまりにも辛そうな娘を元気付けたくて、

突然思い立って車を飛ばして大分まで娘と2人で

行ったことがありました。

 

私1人で夜中高速をひたすら西へ向かって走っている真っ最中には、

「勢いで出発したけど、たどり着けるのか?」と

ちょっとヒヤヒヤしたりもしました。

 

 

眠くなったら、途中のサービスエリアで仮眠をして、

10時間以上かけて大分までドライブ。

 

 

 

突然の訪問にも関わらず、しのぶさんと、

しのぶさんと共に農場で活躍しているルン爺に

大歓迎してもらいました。

 

 

 

広大な久住高原の農場に作られたホビットみたいな横穴式のお家で、

娘と2人で寝袋に包まって眠った夜。

 

見渡す限りの空がゆっくりと明るくなっていく朝日。

私と娘にとって一生の宝物になる思い出です。

 

 

先日、久しぶりに映画「インサイトヘッド」を観ました。

 

主人公の女の子・ライリーにとって、

人生の核になるような出来事があると

その思い出が「コアメモリー」として彼女の人格を形成する

島になって脳内に存在するという話が出てきます。

 

 

 

観終わった後、娘が

「私にとって、久住高原にママが突然車を飛ばして連れて行って

くれた日のことは、私のコアメモリーになっている」と

言ってくれました。

 

 

あの時、いじめが続いて辛い思いをしていた娘からは

彼女本来の光が消えかかっていました。

親としてその姿を見るのは本当に怖かったです。

 

どうすれば、本来の明るさや強さを取り戻せるのか、

そのためなら、私は何だってやると思っていました。

 

 

ただ、久住高原で思いっきり遊び、のびのび過ごした1泊2日が終わり

奈良に帰ってくると、また娘はどんよりと落ち込んでいました。

 

正直言えば「せっかく大分まで行ったけど、

根本的な解決にはならないし、残念だな」と、

少し思っていました。

 

 

でも、あの時のことは私のコア・メモリーになっている

という娘の言葉で、残念だなと思った私が間違っていたことに

気づけました。

 

「あの久住高原への旅行は、娘の人格形成の島を作ってくれたのだ」

と思った時、泣きそうになりました。

 

 

あの時、突然思い立って行ってよかった。

そして、私たちを自由に過ごさせてくれたしのぶさん、ルン爺を始め、

久住高原童心回帰農園の大らかさに改めて感謝の気持ちが

沸き起こってきました。

 

 

当時、しのぶさんとルン爺は私と娘に言ってくれました。

「久住に引っ越してきたら?」と。

 

生きづらい子供達、居場所をなくした人たちが

過ごせる場所を作りたいと思っているという話もしてくれました。

 

 

童心回帰農場で栽培している絶滅危惧種のヤマブドウを使った

ワイナリーや、現在計画中の発酵工房など、

現代社会に馴染めない子供達が農業や手工業、創造的分野での

仕事を生業にして、生きる力をつけていくための場所に

したいと考えておられます。

 

 

本当に居場所が見つけられなかったら、

娘と久住高原に移住させてもらおうかなと、

あの時は半ば本気で思っていました

(その後まさかの沖縄への移住となりましたが 笑)。

 

少なくとも、この場所なら大丈夫と思えるところが

あるということに、私は大きな安心感を覚えていました。

 

 

 

現在、久住高原同心回帰農場では、

発酵工房を作るためのクラウドファンディングをしておられます。

 

おかげさまで、今うちの娘は楽しく通える学校に出会えて

毎日笑顔で過ごせるようになりましたが

(とはいえ、あの頃についた傷はまだ完全には

癒えていないのだろうなと思っていますが)、

娘のように生きづらさを感じている子達は

たくさんいるでしょう。

 

大自然に力をもらいながら、生きるすべを身につけていく。

そんなエネルギーある工房が生まれるはずです。

 

ご興味ある方は、ぜひクラウドファンディングのページ

ご覧になってみてください。

 

最後に、娘のコアメモリーになっている

久住高原童心回帰農場の写真も載せておきますね!

ホビットに出てきそうな横穴式おうち。電気もなく、充電式ランタンの灯りだけが頼りでした。
10月でしたが、高原の朝は震える寒さ。毛布にくるまりながら朝日を待ったのも、いい思い出です。
4月から中学生という歳の娘ですが、今でもブランコが大好き。久住高原の広大な風景に包まれながら乗るブランコに大興奮でした。これ、リアルハイジの気分ですよ!

4ヶ月ぶりの再会!

FM COCOLOを離れて4ヶ月ほどが経ちました・・・。

時々メッセージなどのやりとりもしていましたし、

Facebookの投稿などで元気にしているのも知っていましたが、

ようやくおよそ4ヶ月ぶりの再会を果たしました。

 

我らがKamasami Kong!!

 

 

コングさんが昨年12月に古希のお誕生日を迎え、

そのメモリアルな誕生日をお祝いしなければ!と

これまでにもいつもお誕生日のたびに声をかけてくださっていた

天保山ギャラリーの皆様と集ってきました。

 

しかも、コングさんには、私が来ることは内緒。

 

待ち合わせのホテルのロビーでコングさんが私を見つけた時の顔ったら!

理想的な「びっくり仰天!」なお顔。

「ワオ!!マミコーー!!ナンテサプライズダー!!」とコングさん。

 

そこからは久しぶりのマミコング炸裂(笑)

美味しいご飯をいただきながら、

積もり積もった話に花を咲かせました。

嬉しい再会の場面を作ってくださった

天保山ギャラリーの社長さん、ありがとうございました!

 

その後は、デザートタイム。

コングさんのお誕生日ケーキを届けてくれたのは、

リッツカールトンホテルのキャラクター、リオン君。

 

その後、切り分けられたケーキを見てびっくり。

私のお誕生日もお祝いしてくださっていました。

リオン君が私にも届けてくれました♡
書かれていた言葉は嵐の曲のタイトル。 ちなみにコングさんのプレートには同じく嵐の「HERO」のタイトルが。

 

私だけではなく、

その場にいた11月から1月に誕生日を迎えた

ギャラリースタッフや画家さんも呼んで、

みんなでハッピーバースデー。

新しく入るスタッフには

「天保山ギャラリーファミリーへようこそ」のお祝い。

ものすごく幸せな空気が漂っていました。

天保山ギャラリーの社長さんのサプライズ上手は

前からちょくちょく感じていたのですが、

今回も愛情たっぷりのサプライズに驚きながら

とても幸せな気持ちにさせられました。

 

人を大切にするって、ちゃんと相手のことを知り、

相手が喜ぶことを一生懸命考えて、行動することで

すごく伝わるのだなと教えてもらいました。

いつもおもてなしをしていただいてばかりなので、

私もちゃんとご恩返しができる人になりたいなぁ。。。

 

 

久しぶりのコングさんは、やっぱりコングさんでした。

ダジャレを言い、甘いもの食べたらテンション上がる、

そして誰にも等しく優しい、レジェンドでした。

 

ちなみに先週の月曜日はコングさんを祝うパーティーを

FM COCOLOのみなさんで開催されていまして

私はそこにはビデオメッセージでしか参加できておらず

とても残念に思っていました。

今回、面と向かって「おめでとう!」が言えて本当に良かったです。

 

我らがラジオヒーロ。これからもお元気で♡

また会いましょう!

悩めよ乙女

2020年1月6日(月)。

今日から仕事始めという方も多いのでしょうね。

 

沖縄の大動脈でもある国道58号線には

「初荷」という赤い幕をつけたトラックが連なっていました。

 

おめでたいような、華やかな雰囲気が届いてきて

私の顔もほころんでいました。

 

 

そんな今日、娘の学校も3学期スタートです。

小学校生活最後になる学期です。6年生の3学期。

まぁ、この時期の子供は思春期真っ只中でややこしい

とも言えるわけで、娘も娘なりの凸凹と格闘しております。

 

 

彼女は5年生の時に、

生まれ故郷の奈良で、人種差別やイジメに晒されました。

アメリカ人の父親がいるというだけで

なぜ彼女の人格が否定されるような傷つけられ方をするのか

子供心に何度も考えたと思います。

 

 

そして沖縄に移住をして、

外国にルーツを持つお友達がたくさんできました。

彼らと一緒にいる時が1番楽だと娘は言います。

なぜなら、自分のままで居られるから、と。

私から見ても、彼らと一緒にいる娘は

自分が正しいと思うことを躊躇なく表現することができて

伸び伸びしているように見えます。

 

 

一方で、地元の公立の小学校に通う娘の

同級生のほとんどは、島生まれ、島育ちの子です。

私たち家族とは、暮らしてきた環境も知識も文化も違います。

私にはその違いが面白くて、色々調べてみたり、

地元の人に教えてもらったりすることを楽しんでいます。

だってこういう文化や環境の「違い」を知れば知るほど

自分の幅が広がって、価値観の多様性にも気づくチャンスが

増えますよね。なんとありがたい経験か。

40代後半になっても、まだまだ学びの日々です。

 

 

でも、最近気になるのは

子供達の中で蔓延する「同調圧力」。

みんなと同じじゃなきゃダメだ、というプレッシャー。

いつから子供たちはこんな不自由になってしまったのでしょう。

奈良にいても、沖縄にいても同じようなことを感じます。

 

 

 

沖縄生まれ、沖縄育ちの子が多いクラスの中で

「みんなと同じ」でいることは、奈良で生まれ育ち、

沖縄暮らしはまだ数ヶ月、という娘にとって

不可能でしかありません。

知識も足りなければ、経験してきたことだって違います。

もちろん親として私が娘に沖縄の文化を

教えられるはずもありません。

だから「同じであること」を期待されても、それに

応えることはまだまだ難しいわけです。

 

 

加えて、一部の人に限りますし、

ある程度の覚悟はしていましたが、

私たち一家が本土から来た、というだけで不快な人も

残念ながらおられるそうです

(地元の方が「そういう人は一定数いる」と教えてくれました)。

子供達の中にはその不快感をストレートに表現する子もいます。

もちろんそれはおかしいよと、

娘をかばってくれる子もいます(ありがたい!)。

 

 

同調圧力、そして「よそ者」扱い・・・。

こうしたチクチクに晒されることもありつつ、

娘がありのままで一緒に過ごせる友達に助けてもらいながら

暮らしています。

 

 

そんな娘と昨夜ゆっくり語り合う中で

実感したことがありました。

あぁ、この子は今、自分というアイデンティティを作る

真っ最中なのだなぁと。

 

「○○さんのおじちゃんはすごくすごくいい人で

とても優しいけど、怒った時なんかは特にキッツイ言葉遣いで

あれは真似したくないなぁと思う」とか

「△△さんは勉強家だし、努力もすごくしているのが伝わる。

ただ、なんとなく視野が狭い気がするんだよね」

などと、生意気発言全開で、

周りの大人を分析しています。

 

 

私もそうだったなぁと思い出しました。

将来、子供に「早くしなさい」と言う大人にはならないと

せっかちな母を見て思ったり。。。

というのも当時の私はすごくノロマで、

何をするのにも時間がかかっていました。

母は私に「早く」と言い、当時の私は

「これでも急いでるのに!」と思っていたのです。

当時の私も、今の娘と同様、

身近な大人に対しての批判的な目を持ちながら

自分はどんな大人になりたいかを考えていたのでした。

とか言いながら、実際は娘に「はーやーくーーー!!」とか

言っちゃう母になってしまってますが。とほほ。

 

 

この1年半ほどの間は、娘にとって

ユダヤ系アメリカ人と日本人の両親に生まれた自分、

本州、関西で生まれ育った自分、

ということを、嫌が応にも実感させられる日々だったはずです。

しかも「周りと違う」という理由で始まる嫌がらせのせいで。

それは彼女を苦しめ、自己肯定力を下げることもありました。

 

何度も娘は言っていました。

「なんで同じじゃなきゃいけないの?」と。

私は常々、エースの4番ばかり9人集めたって、

野球チームとして成り立たない!と言います。

足の速い選手、投げるのが得意な人、大きな声で応援できる選手、

など色々な人がいるからいいチームになるんじゃないの?って。

補え合えるから、強くなれるんじゃないの?って。

だから「みんな同じでいることが良い」と思うなんて

ナンセンスだ!!という考えのもと、子育てをしています。

まぁ、そんな親に育てられている娘に「みんな同じ」を

求めても、できませんよねぇ。

もともと個性の強いタイプだし。

そして大人になれば、その「違い」を活かすことができる。

その「違い」を認めてくれる人はもっと増えるよと

ずっと娘には伝えています。

 

彼女にとって、どの地に暮らしても

この思春期は決して楽な時期ではないのかもしれません。

でも、「自分ってどういう人なのか」

「どんな大人になりたいのか」ということを

具体的に考え始める年齢になってきた彼女には、

ここまで経験してきた「違い」を実感する出来事が

自分を客観視する目線に繋がっているのだなとも感じています。

 

 

そうやってアイデンティティを築いていけばいいのさ。

もちろん今「こういう大人になりたいな」という思いは

成長するに従ってどんどん上書きもされていくし、

結果的にはイメージしていた大人と全然違うタイプに

なるのかもしれない。

でも、そのプロセスが自分を作っていくのだよ。

だから、しっかり悩めよ乙女。

 

私はそんな風に娘を眺めています。

 

 

 

助けてくれる友達、理解し合える仲間を大切にしてほしい。

人生はやり直しが効くし、正解不正解だけで判断なんてできない。

まだまだ迷ったり、Uターンしたり、

地図を広げて立ち止まったりすることだらけだと思うけど、

それも大切なプロセス。

最短距離で歩こうとしなくていいよ。

 

 

なんてことを思っています。

私だってええ歳なのに、未だ迷ったり転んだりしています。

決して器用なタイプとは言えない娘は、これからの人生

途方に暮れてしまうことも何度もあるでしょう。

逆に調子に乗って周りの風景を見ることなく暴走することも

ありそうです(笑)

 

そんな時、

真横を伴走して地図を一緒に見てあーだこーだ言う親よりは、

道を照らす街灯になったり、

足を止める石ころになったり、

その程度の存在で見守っていける親でいたいなと思います。

彼女の人生の道は彼女が歩くものですから。

 

 

「家族は文化の最小単位」と、

大学の家族社会学の授業で習いました。

今はその言葉の意味が実感できるようになりました。

夫が両親から受け継いだ文化、

私が両親から受け継いだ文化、

それが合わさって我が家の文化になっていき、

それが娘の文化になっていく。

 

だから、誰かと同じなんてことはあり得ないのです。

だけど、誰かと違うから、混じり合うことができない

ということでもないと思います。

「違い」は楽しむことも、愛することも、面白がることも、

そして融合して何か別のものを生み出すこともできると

私は信じています。

 

娘が将来誰かと出会って、家族になる日が

来るかもしれません。

その時はその人と一緒に彼らの文化を作っていくことになるでしょう。

 

そして私はその時、私とはまた違う文化を作り出した娘のことを

面白がり、誇りに思うに違いありません。

あけましておめでとうございます

2020年、明けました。

明けて3日目で、ようやくこちらで新年のご挨拶です。おそ。

 

2020年、ちょっとずつ新しいことを始めていこうと思っています。

その1つとしてビデオ日記を始めることにしました。

 

日記、と言っても

新年のご挨拶を1月3日になってからアップする女ですから、

毎日アップするはずがございません。

時々だけど日記です。

 

昨年9月末にラジオのお仕事を離れてから、

今日に至るまで、本当にたくさんの方からSNSなどを通じて

メッセージをいただいております。

その中には本当に本当にありがたいことに

「真美子さんの声が聴けなくなって寂しい」というものが

とてもたくさんありました。

みなさん、優しい。本当にありがとうございます。

 

ラジオの電波を通してという形ではありませんが、

今や誰もが発信できる、世界77億人 総メディア社会です。

というわけで、私もあんまり使っていないYouTubeアカウントを使い

このサイトに私の小さな日常を写したビデオを時々UPしていきます。

 

というわけで、第一弾はこれ!

Happy New Year from Okinawa 2020

 

本年もどうぞよろしくお願いします。

 

小谷真美子

季節のご挨拶

12月も気づけば後半に突入です。

私が沖縄に引越して、丸2ヶ月が経とうとしています。

 

沖縄に来てから、色々な国の方、また色々な国に住んだことのある方と

お話する機会が少しずつ増えています。

 

そんな方々と最近こんなご挨拶が繰り返されます。

「あなたのお家ではクリスマスのお祝いはするの?」

 

 

宗教的な色は全くないけど、クリスマスが好きな人が多いから

子供のいる家にサンタが毎年来るよという方、

クリスチャンじゃないから全く祝わないというお国の方、

もちろん教会に行ってクリスマスの夜は家族で過ごすという方など

様々な回答が出てきて面白いです。

 

うちは「基本的にはユダヤのハヌカをお祝いするのだけど、

日本っぽいクリスマス(宗教色ゼロ)っぽい過ごし方はするかな」

という答えをしています。

 

そんな会話の中、私が1番面白いなと思ったのは

「私はソ連で育った」という方のお話。

彼女が子供の頃のソ連では、政教分離が厳しかったので

クリスマスを表立ってお祝いすることは禁じられていたとのこと。

だから、「Father Frost」(いわば、「霜のおっさん」)という名前の

おっちゃんがお正月にやってきてプレゼントをくれるという形で

冬を盛り上げていたのよ、というお話。

見た目もサンタさんそっくり。

霜のおっさんの衣装はブルーですが、

白いひげもサンタやんかーっていう出で立ち。

霜のおっさん、いや、Father Frost

 

 

沖縄のあったかいクリスマスも、私にとっては不思議なのですが、

世界各地のクリスマス事情もいろいろ聞けて、

楽しいクリスマスシーズンです。

 

 

そんな中、今日はクリスマスクッキング教室へ行ってきました。

美味しいクリスマスチキン(パプリカ添え)に、

野菜出汁たっぷりのスープ、

クリスマスデコレーションのパンケーキ、

というメニューを作ってきました。

パプリカをクッキー型でくりぬいたり、

野菜出汁のスープに加える卵にパルメザンチーズを入れたり、

「なるほど!」と思うアイデアも色々教わりました。

チキンの皮がパリパリで、しっかり中まで味がしみていて、とても美味しかったです!これは早速家で試そう。

 

 

 

とまぁ、クリスマス気分いっぱいの投稿をしましたが、

私は明日20日からクリスマスイブまで関西で過ごします!

今回は、素敵なクリスマスパーティーの司会&

専門用語満載のナレーション収録のお仕事を兼ねての帰還です。

関西でお会いする方、どうぞよろしくお願いします!

 

そして、皆様、素敵なクリスマスを♡

人生は決して長くない

以前投稿したこのエントリー

沖縄移住の理由に関するお話は終わりのつもりでした。

 

でも、実は奈良市長とお会いした後も、

奈良県の人権関連の団体の方や教育関係の方からご連絡をいただき、

個別にお会いしてお話をさせていただいたりもしています。

 

ラジオでオンエアしてからもう2週間が経つのに、

こうしてコンタクトを取って

「ラジコで聴いて驚きました。詳しいお話を聞かせていただけませんか?」

という方が続いたことに驚いていました。

 

そしてその理由が昨日わかりました。

 

 

昨日お会いした奈良で教育関係のお仕事をされている方から聞いたのですが、

リスナーさんのどなたかが、

奈良県のサイトを通じて、私の最後のオンエアの話を

伝えてくださったそうなのです。

しかも、ラジコのタイムフリーのURLも添えて。

 

そうやって公的な機関に知らせようと

動いてくださったリスナーさんがおられたことにも、

驚きと感謝がありました。

このサイトを見てくださっているかどうかも分かりませんが、

動いてくださってありがとうございました。

そして送られたURLからラジコのタイムフリーで

番組を聴いてくださり、その後私に連絡を取って

話を聞きに来てくださった方々にも、

心から感謝をしています。

 

 

 

大きな変化を起こすことは簡単ではない。

1人ではできない。

でも、1人1人に呼びかけて、

その組織の中3人が賛同すれば、一隅を照らしていく。

そうやってその3人がまた別の人に呼びかける。

賛同する人を増やしていく。

コツコツと変化を作ることはできるかもしれない。

 

昨日お会いした方とのお話の中で、言われたお話です。

 

 

私も常々思っていました。

変化というのは、「動き」を起こすこと。

 

私は「伝える」仕事をずっとしてきましたが、

その中で特に「伝わった」と感じるのは、

伝えた情報をもとに「動き」があった時でした。

 

どういう意味かと言いますと、

例えば、映画のお話をした後、

「ラジオで聞いて映画を観たくなり、観に行ってきました」

と教えてもらった時。

私が言葉にした映画の情報が伝わり、

そこで「観にいく」という「動き」が生まれる。

あぁ、伝わって良かったといつも本当に嬉しくなりました。

 

「観にいく」という動きでなくても、

例えば「その映画の名前を検索してみる」、

「予告編を観てみる」なども立派な「動き」です。

 

だから、伝えることを恐れないでいようと、改めて思いました。

 

これはおかしいという思うことは、ちゃんとおかしいと伝える。

もしかしたら自分が間違っていることを指摘されるかもしれません。

でも言わなければ、その間違いさえ指摘してもらえず、

自分が正しいと信じ込んでしまうかもしれません。

指摘されたことに納得がいかなければ、

そこに議論が生まれる。

そうやって分かり合えるように言葉を尽くすことも

大切な行動なんですよね。

 

 

ありがとうと伝えたい相手には、ちゃんと伝える。

私からのお礼なんて、別に喜んでもらえないかなと

思ってしまうことがありました。

でも私が逆の立場だったら、

ありがとうのメッセージを嫌に思うことなんて絶対にないなぁ、

そしてそれは私の大きな力になってくれることも

よくあるなぁと考えました。

 

ならば、私が伝えたい「ありがとう」は盛大に伝えようではないか。

それをどう受け止めるかはもちろんお相手次第。

でも伝えることで何かが生まれるかもしれない、

何かが動くかもしれない。

その可能性がたとえ0.01%でもあるならば、

私はちゃんと伝えるべきだと思いました。

 

 

というわけで、

昨夜はお礼を伝えたかった、とてもお世話になった方2人に

長い手紙を書きました。

どんな風に受け止めてもらえるか分かりませんが、

私は今、すごく清々しい気持ちです。

 

昨日結婚披露宴の司会をした時に、新郎新婦からいただいたクッキー。 なんだか心にしみました。 その後、美味しくいただきました♡

 

Life is too short. 

躊躇していてはもったいないですね。

伝えたいことは、ちゃんと伝えよう。

 

 

FM COCOLOを離れてからも、私の日々は前進しています。

新たに生まれてきた価値観が、

少しずつ確かな形になっていくような、

そんな自分の中での変化を感じる日々です。

最後の放送の後で

9月30日、私にとっての最後のFM COCOLO PACIFIC OASISで

沖縄へ移住する理由をお伝えしました。

ご存知ない方は、よければ

このエントリーの前半をお読みください。

最後のオンエアを終えた直後。 チームPACIFIC OASISでの記念撮影

 

 

デリケートな内容だったので、ラジオではオブラートに包んで

お話したつもりです。

それでも、そんな理由で辞めるのだと驚かれる方もいらっしゃるだろうと

スタッフ共々ある程度予想はしていました。

 

でも、予想をはるかに上回る反応が番組にも、私のSNSにも届き、

実はFacebookのメッセンジャーを通していただいたメッセージも

相当の数となりました。

その中の多くが「実はうちの子供もいじめられていて」とか

「うちの子も学校へ行けていなくて」

「私は中学3年間不登校でした」というような内容でした。

 

内容もさることながら、

驚いたのはその数。

まるで世の中の半分くらいの子供がいじめや不登校を

経験しているんじゃないの?

くらいの感覚になっちゃいました。

 

 

私がラジオの電波を通じてお伝えしたことをきっかけに、

「真美子さんだけにはお伝えしますが」とか

「コメント欄には書けませんのでメッセンジャーで」

といった書き出しで、たくさんの方々が

プライベートでの苦しい経験を教えてくれていたのでした。

 

 

そんなメッセージたちに

埋もれるようになっているのを見つけたのは、

奈良市の仲川げん市長からのご連絡。

 

市長と私の共通の友人が、ちょうどいいタイミングで

私のラジオを聴いてくれて、

私が沖縄へ行く理由を知り、

ショックを受けたことを綴ってくれていました。

 

無意識の差別感覚、「違う」というイメージの使い方の薄さ、

そして、もともと人は違っているわけだし

それを認めてなんとか生きていこうということを共有するのが

こんなにも難しいなんて。

 

というような、まさに私の言いたいことを的確に捉えた

投稿をしてくれていたんです。

 

それを読んだ、仲川げん奈良市長が、

「いじめ対策を大号令あげてやってきていたつもりだったのに

申し訳ない気持ちだ」ということを始め、

詳しいお話を聞かせてもらえないだろうかという内容の

連絡を下さったのです。

 

 

そして、先日、奈良市役所の市長室を訪ねました。

せっかく市長に話を聞いてもらえるのだから、これまでの経緯を

しっかり時系列で話せるようにしておこうと、前日の夜中まで

準備をしました。

 

娘のいじめが始まって、

学校との話し合いが定期的に開催されるようになってから、

学校とのやりとり、娘の言動、学校での出来事、

教師から言われたことなどをすべてノートに書いていたんです。

それを全て読み、お伝えしたいところを中心に時系列でまとめました。

つまり、久しぶりに娘の苦しかった時期のことを読み返したんです。

 

大人たち(教師たち)に囲まれて話すと「丸め込まれてしまうと感じる。

自分の言いたいことがちゃんと届いていない感じがする」と訴える娘に

「そんなこと言われて、先生は傷つきました!怒ってます!」

と逆ギレした女性教師。

こちらがもう1度話をして解決させようと思っているのに

学校では娘を無視し続け、しびれを切らした私が

校長室にその先生を呼び出してもらった時のこと。

いつまでたっても謝ることもなく

だんまりを決め込んだ女性教師に、

娘がボロボロと涙を流しながら

「先生、なんで無視するの?!」と言っても、

先生は無表情に黙っているだけだった時の悔しさ、もどかしさ。

 

物が隠されることが続き、教室の中にいるのが不安になり

居心地の悪さのあまり教室を飛び出した娘。

探しにきた男性教師が娘を見つけた瞬間、

「お前がこうやって出て行ったら、

俺はお前を探さなあかんねんぞ。

さっきまで職員室で丸つけしてたんや。

俺の時間返せ!」と

言ってきて唖然としたこと。

 

登校してすぐに同級生たちが娘の姿を認め

「なんであいつ来たん。うざ」とか「臭い」とか

言われたので、担任の先生の元へ走っていき、

「もう帰る。ママにお迎え来てもらってください」と

頼んだ朝。

出勤前に慌てて学校へ迎えに行き、娘を車に乗せた瞬間

車の中で娘が大声で泣き崩れたことなどなど・・・。

 

記憶に蓋をしていたことがドバッと飛び込んできて、

何度も涙をぬぐいながら時系列にまとめる作業をしました。

 

その甲斐あって、市長にはしっかり話を聞いていただけて、

実際に娘が不登校だった時に

私が考えたことなどもお話しできました。

 

例えば、学校に行けない子が、

家以外に安心できる居場所(フリースクールなど)の情報が

一元化されて提供されるとありがたいです、などなど。

子供のケアに精一杯の場合、

フリースクールを探して、連絡して、

予定の合う日に親子で見学に行くという作業すら

大変なこともあると思うのです。

少なくとも、私はそうでした。

 

 

それにしても・・・

思った以上に多いんですね。

学校の中で苦しんで、結局学校に行けなくなってしまう子供達が。

私がラジオでお話ししたことで、

意外と身近な方も同じような悩みを持っておられたり

かつて経験されたりしたんだということを初めて知りました。

 

こんなにたくさんおられるのに、表に見えてこない。

言いにくい雰囲気があるのだろうなと思いました。

言えないから余計に苦しいのだなと気づきました。

 

私も、娘がいじめられ始めた頃は、誰にも言っていませんでした。

こんなネガティブな話、職場ですべきじゃないと考えたり、

一時的なことで、しばらくしたら収まるんじゃないかと楽天的になったり、

こんな話して、モンスターペアレントって思われないかなぁとか、

言わない理由は幾つでもこじつけることができました。

 

でも、周りに話をし始めると、すごく親身に聞いてくれたり

職場でも「最近娘さん、どう?」って声かけてもらえたりして

少し気持ちが楽になりました(状況は変わらずとも)。

だって今思えば、

周りにもたくさん苦しんでいる子がいるんですもの。

他人事だなんて思えないはずなんですよね。

 

だから今、私がすごく気になっているのは、

子育て世代が、いじめや不登校などの子供さんを抱えて

心身ともに疲れている状況なのに「助けて」と言えない

状態になっていないのだろうかということ。

もっとみんな気楽に話せる場などがあればいいのになと思います。

 

 

「仕事に行く前に子供のお昼ご飯を用意しなきゃ行けないから

朝がバタバタで大変〜」

「そうよねー。給食食べてくれたらいいのにねえ・・・」

なんていう不登校の親アルアル(なのかな?)話ができるくらいの

カジュアルさで集えるような場所。

 

何も解決もしていないとはいえ、そういう場所で話ができれば

親の孤独は少し解消されることでしょう。

親の孤独が解消されれば、少しは余裕を持って子供と向き合える。

それだけでもちょっと楽になれるんじゃないかなと想像しています。

そしてそのような場所で、私みたいな人間が口火を切って話せば

「実はうちもなのー」ってわいわいできるのかもしれないって

思ったりもしています。

 

親も子もひとりぼっちにならないで、

みんなが機嫌よく幸せに暮らせるにはどうしたらいいのだろう。

私に何ができるだろう。

 

最後のオンエア、そして予想以上の反響をいただいて以来

ずっとそんなことを考えています。

そしてあのような話を電波を使ってさせてもらった以上、

これからも問題意識を持って、自分のできることを探していこうと

改めて決意しました。

仲川市長、ありがとうございました。