悩めよ乙女

2020年1月6日(月)。

今日から仕事始めという方も多いのでしょうね。

 

沖縄の大動脈でもある国道58号線には

「初荷」という赤い幕をつけたトラックが連なっていました。

 

おめでたいような、華やかな雰囲気が届いてきて

私の顔もほころんでいました。

 

 

そんな今日、娘の学校も3学期スタートです。

小学校生活最後になる学期です。6年生の3学期。

まぁ、この時期の子供は思春期真っ只中でややこしい

とも言えるわけで、娘も娘なりの凸凹と格闘しております。

 

 

彼女は5年生の時に、

生まれ故郷の奈良で、人種差別やイジメに晒されました。

アメリカ人の父親がいるというだけで

なぜ彼女の人格が否定されるような傷つけられ方をするのか

子供心に何度も考えたと思います。

 

 

そして沖縄に移住をして、

外国にルーツを持つお友達がたくさんできました。

彼らと一緒にいる時が1番楽だと娘は言います。

なぜなら、自分のままで居られるから、と。

私から見ても、彼らと一緒にいる娘は

自分が正しいと思うことを躊躇なく表現することができて

伸び伸びしているように見えます。

 

 

一方で、地元の公立の小学校に通う娘の

同級生のほとんどは、島生まれ、島育ちの子です。

私たち家族とは、暮らしてきた環境も知識も文化も違います。

私にはその違いが面白くて、色々調べてみたり、

地元の人に教えてもらったりすることを楽しんでいます。

だってこういう文化や環境の「違い」を知れば知るほど

自分の幅が広がって、価値観の多様性にも気づくチャンスが

増えますよね。なんとありがたい経験か。

40代後半になっても、まだまだ学びの日々です。

 

 

でも、最近気になるのは

子供達の中で蔓延する「同調圧力」。

みんなと同じじゃなきゃダメだ、というプレッシャー。

いつから子供たちはこんな不自由になってしまったのでしょう。

奈良にいても、沖縄にいても同じようなことを感じます。

 

 

 

沖縄生まれ、沖縄育ちの子が多いクラスの中で

「みんなと同じ」でいることは、奈良で生まれ育ち、

沖縄暮らしはまだ数ヶ月、という娘にとって

不可能でしかありません。

知識も足りなければ、経験してきたことだって違います。

もちろん親として私が娘に沖縄の文化を

教えられるはずもありません。

だから「同じであること」を期待されても、それに

応えることはまだまだ難しいわけです。

 

 

加えて、一部の人に限りますし、

ある程度の覚悟はしていましたが、

私たち一家が本土から来た、というだけで不快な人も

残念ながらおられるそうです

(地元の方が「そういう人は一定数いる」と教えてくれました)。

子供達の中にはその不快感をストレートに表現する子もいます。

もちろんそれはおかしいよと、

娘をかばってくれる子もいます(ありがたい!)。

 

 

同調圧力、そして「よそ者」扱い・・・。

こうしたチクチクに晒されることもありつつ、

娘がありのままで一緒に過ごせる友達に助けてもらいながら

暮らしています。

 

 

そんな娘と昨夜ゆっくり語り合う中で

実感したことがありました。

あぁ、この子は今、自分というアイデンティティを作る

真っ最中なのだなぁと。

 

「○○さんのおじちゃんはすごくすごくいい人で

とても優しいけど、怒った時なんかは特にキッツイ言葉遣いで

あれは真似したくないなぁと思う」とか

「△△さんは勉強家だし、努力もすごくしているのが伝わる。

ただ、なんとなく視野が狭い気がするんだよね」

などと、生意気発言全開で、

周りの大人を分析しています。

 

 

私もそうだったなぁと思い出しました。

将来、子供に「早くしなさい」と言う大人にはならないと

せっかちな母を見て思ったり。。。

というのも当時の私はすごくノロマで、

何をするのにも時間がかかっていました。

母は私に「早く」と言い、当時の私は

「これでも急いでるのに!」と思っていたのです。

当時の私も、今の娘と同様、

身近な大人に対しての批判的な目を持ちながら

自分はどんな大人になりたいかを考えていたのでした。

とか言いながら、実際は娘に「はーやーくーーー!!」とか

言っちゃう母になってしまってますが。とほほ。

 

 

この1年半ほどの間は、娘にとって

ユダヤ系アメリカ人と日本人の両親に生まれた自分、

本州、関西で生まれ育った自分、

ということを、嫌が応にも実感させられる日々だったはずです。

しかも「周りと違う」という理由で始まる嫌がらせのせいで。

それは彼女を苦しめ、自己肯定力を下げることもありました。

 

何度も娘は言っていました。

「なんで同じじゃなきゃいけないの?」と。

私は常々、エースの4番ばかり9人集めたって、

野球チームとして成り立たない!と言います。

足の速い選手、投げるのが得意な人、大きな声で応援できる選手、

など色々な人がいるからいいチームになるんじゃないの?って。

補え合えるから、強くなれるんじゃないの?って。

だから「みんな同じでいることが良い」と思うなんて

ナンセンスだ!!という考えのもと、子育てをしています。

まぁ、そんな親に育てられている娘に「みんな同じ」を

求めても、できませんよねぇ。

もともと個性の強いタイプだし。

そして大人になれば、その「違い」を活かすことができる。

その「違い」を認めてくれる人はもっと増えるよと

ずっと娘には伝えています。

 

彼女にとって、どの地に暮らしても

この思春期は決して楽な時期ではないのかもしれません。

でも、「自分ってどういう人なのか」

「どんな大人になりたいのか」ということを

具体的に考え始める年齢になってきた彼女には、

ここまで経験してきた「違い」を実感する出来事が

自分を客観視する目線に繋がっているのだなとも感じています。

 

 

そうやってアイデンティティを築いていけばいいのさ。

もちろん今「こういう大人になりたいな」という思いは

成長するに従ってどんどん上書きもされていくし、

結果的にはイメージしていた大人と全然違うタイプに

なるのかもしれない。

でも、そのプロセスが自分を作っていくのだよ。

だから、しっかり悩めよ乙女。

 

私はそんな風に娘を眺めています。

 

 

 

助けてくれる友達、理解し合える仲間を大切にしてほしい。

人生はやり直しが効くし、正解不正解だけで判断なんてできない。

まだまだ迷ったり、Uターンしたり、

地図を広げて立ち止まったりすることだらけだと思うけど、

それも大切なプロセス。

最短距離で歩こうとしなくていいよ。

 

 

なんてことを思っています。

私だってええ歳なのに、未だ迷ったり転んだりしています。

決して器用なタイプとは言えない娘は、これからの人生

途方に暮れてしまうことも何度もあるでしょう。

逆に調子に乗って周りの風景を見ることなく暴走することも

ありそうです(笑)

 

そんな時、

真横を伴走して地図を一緒に見てあーだこーだ言う親よりは、

道を照らす街灯になったり、

足を止める石ころになったり、

その程度の存在で見守っていける親でいたいなと思います。

彼女の人生の道は彼女が歩くものですから。

 

 

「家族は文化の最小単位」と、

大学の家族社会学の授業で習いました。

今はその言葉の意味が実感できるようになりました。

夫が両親から受け継いだ文化、

私が両親から受け継いだ文化、

それが合わさって我が家の文化になっていき、

それが娘の文化になっていく。

 

だから、誰かと同じなんてことはあり得ないのです。

だけど、誰かと違うから、混じり合うことができない

ということでもないと思います。

「違い」は楽しむことも、愛することも、面白がることも、

そして融合して何か別のものを生み出すこともできると

私は信じています。

 

娘が将来誰かと出会って、家族になる日が

来るかもしれません。

その時はその人と一緒に彼らの文化を作っていくことになるでしょう。

 

そして私はその時、私とはまた違う文化を作り出した娘のことを

面白がり、誇りに思うに違いありません。

6 Replies to “悩めよ乙女”

  1. 簡単には解決できない永遠のテーマですね。
    子供であれ大人であれ、どんな生物も同一なんて存在しないはずです。同一思考や行動は周りから排除されにくいと勘違いしてとる、最も安直で愚かな発想だと思います。
    物事の本質を正しく見つめる目と思考は、自分自身で探し続けなければならない一生の課題で、日々変化もするものではないでしょうか?
    “何々でなければならない”とか“何々すべき”と協調第一主義で生きてきた人間には個性を大切にするという基本的な事が自殺行為に思えるのかもしれません。
    子供の教育は人格を形成する最も大切な要素、広い視野を持って親や教育者など大人が責任をもって育て、大人も成長していく。
    出過ぎない程度に見守りつつ少しづつでも空気を換えていく根競べではないかと考えます。
    こうして問題提起されないと皆考えようとしない。
    それが一番の癌ではないでしょうか。

    1. 子供達の世界では「なんで○○しないの?」という言葉で
      違うことをしている子供を責めることがあるようです。
      逆に「なんで○○しなきゃいけないの?」と考えられないのかなと
      ちょっと心配になります。
      「何々でなければならない」「何々すべき」の発想は
      思考停止を生み出す危険性がありますよね。
      自分の頭で考えて、判断し、行動できる人になってほしいと思います。
      人と同じことをしているのは、なんとなく上っ面の安心感が
      あるのかもしれませんが、実はそれはとても危険なことでもあるんだと
      これからの世代には感じ取ってほしいなと思います。
      もちろんそのためには、大人世代が自らの頭で考え、行動し、
      長いものに巻かれない姿勢を見せることも必要ですよね。。。

  2. 娘ちゃん… たくましく成長しているんですねぇ^^

    絵具にはなぜたくさん色があるの?
    何で赤と青を混ぜると紫になるんだろう?
    たくさん色があっても出来ない色もある。ビックリするような綺麗な色になったり、ガッカリな色が出来たり。
    人生もコレと同じで、生きている限り同じ様に繰り返すのかもしれません。
    これからも、たくさんの色をパレットに広げて、色んな色を体感して欲しいですね。

    ワタシは嫁ぐ時に、お世話になった方から「あなたは朱の中の朱でありなさいね」と言う言葉を頂きました。
    同じに見えて、違うワタシだけの色。
    今にして解る深い言葉…
    自分らしく、堂々と生きなさいと言って下さったのだと思います。
    旦那さんの家族や親族に馴染むだけでない、自分の家族を作ること。
    あちこちでぶつかって、悩み、怪我もし、泣いたり笑ったりしながら作る彩り…
    この先も、自分の変化を楽しみながら、たくさんの人から学び、たくさんの事を知りたいと思います。
    息子が結婚して、新しい家族が増えて…
    まだまだ、子供と一緒に学ぶ事も多い毎日…
    そして、近い将来、ワタシが見守られる日が来ます。  
    でも、やっぱり毎日変わる自分を、楽しみたいと思います。

    1. 朱の中の朱、良い言葉ですね。
      同じ「朱」だとしても、実はちょっとずつ違うし、その色を作り出すのは
      自分自身ですものね。
      そしてこれからも少しずつ朱色のニュアンスが変わったりするのも
      人生の醍醐味と言えるのかもしれません。

      娘は以前「なぜ私はみんなと同じことができないのかな」とつぶやいて
      泣いたことがありました。
      もっと小さい頃は「他の子と同じことはしたくない」と言っていたのに
      その時は「同じじゃないことが罪」のような空気を感じたようです。
      でも、あなたのままでいいんだよ、みんなと同じだからって
      みんな正しいわけではない。
      同じだからと安心しても、実はみんなで間違ったことをしているかもしれない。
      自分でしっかり考えて、自分にとって正しいと思えることを選ぼうね
      という話をしました。

      子供の世界では難しいことかもしれませんが、
      いつか娘が娘なりの色を作り出し、その色の変化を楽しめる人に
      なってくれることを願いつつ、見守っていこうと思います。
      素敵なコメント、ありがとうございました。

  3. うちも次女が真美子さんの娘さんと同じ。長女の影響を多大に受けている為、たどたどしいながら、一生懸命、生意気な事を言います(笑)小学校での6年間で髄分、成長しました。中学生からは同じ境遇のお友達と勉強します。次女のペースで学校生活が送れると思い、そちらを選択しました。
    が、私達には全く情報も知識も無く不安なのも確かです。将来の事を考えると更に不安になるのですが周りには、もっと重度の方もおられます。重度の親御さんから見たら次女なんて普通と同じ。そういう集まりに行くと明らかに冷たい目線で見られます。次女の様にグレーゾーンの親御さんは同じ思いをされています。今まではガッチリサポートしてきましたが、これからは自分で考え行動する様にさせていこうと思っています。なんと言っても無限の可能性が秘めていますからね!(ノ≧∀≦)ノ

    1. みんなそれぞれ個性も得意不得意も違うのに、
      同じに当てはめようとするのは無理があるんですよね。
      何が普通か、何が多数派か、なんて関係なく
      その子それぞれがそのままで過ごせる場所があるといいですよね。
      親としては、どんな状況でもたくましく道を切り開いて
      自分で歩いて行ってくれたらいいなと願うばかりです。

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