修学旅行での出来事

うちの娘、てんやわんやの準備を経て(そりゃもうお年頃だから大騒ぎさ)、先日小学6年生としての修学旅行に、広島へ行ってきました。

 

帰ってきた彼女が、私の顔を見て最初に言ったのは「平和記念資料館がすごかった・・・」ということ。原爆が落とされて、亡くなる直前の子供が親に伝えた言葉、亡くなった子供に残された親が伝えた言葉などの展示を見て、涙が止まらなかったと言っていました。

 

お水を欲しがる子供に、でもお水をあげてしまうと火傷に良くないという、誰彼ともない噂を信じて、お水をあげなかったお母さん。その後数時間で亡くなった子供を思い「それなら思い切りお水を飲ませてあげれば良かった」と語ったことなど、娘は一生懸命私に聞かせてくれました。

「ひいおばあちゃんが生きていれば、今だったらもっといっぱいお話聞けたのに」と、数年前に他界した私の祖母に会いたがったりもしていました。

 

 

もちろん、お友達と過ごした時間、先生方と過ごした時間など、楽しかったこともたくさん教えてくれましたよ。地元の美味しいものも食べたりしながら過ごしたお土産ショッピングの時間の楽しさなども聞けました。お土産屋さんの一角で牡蠣まで食べさせてもらったんですって!ええなー。

 

家へのお土産はもみじ饅頭と、広島風お好み焼きせんべい(ソース味)。そして私には厳島神社で買い求めた小さなお守りもくれました。すごく嬉しかったです。大事にします。

 

無事に、楽しく修学旅行を終えたのだなぁと私もホッとしていましたが、その数日後になって娘が「あのな、実は言ってなかったんだけど」と、こんな話をし始めました。

 

平和記念資料館でのこと。

娘の学校は先生と生徒たちで資料館を見て回っていたのですが、修学旅行に来ている他の学校では、地元の観光ガイドさんのような方が、資料館での案内をされているところもあったそうです。

 

たまたま娘が通りかかった時、ある小学生グループのガイドさんが原爆の話をしていました。その後、小学生たちに質問を投げかけたのです。「では、これは誰が悪かったのでしょう」と。

 

娘は先を促す友達に「ごめん、ちょっとだけこの話聞きたい」と待ってもらい、娘はそのガイドさんの話の続きを立ち止まって聞きました。

「では、これは誰が悪かったのでしょう」。

その問いかけに、小学生グループの中の1人が答えました。

「誰も悪くない」。

ガイドさんは「違います」とおっしゃいました。

別の小学生が答えました。

「日本が攻撃をしかけたから、日本が悪い」。

ガイドさんはまた言います。「違います」。

そしてこう続けました。

「悪いのはアメリカです」。

 

 

日本とアメリカの両方の血を引く娘は、とても複雑な気持ちでそのやりとりを聞いていたそうです。そして「ママ、どう思う?」と。

私たちは日本人とアメリカ人のいる家族だから、複雑な気持ちはあるけれど、それと同じように、広島の人、原爆を体験した人ならではの思いもきっとあるよね。広島には、原爆の被害にあった人、そのご家族、子孫の方々も多いから、アメリカ憎しという考えの方もいまだにおられるのかもしれない。その考えを否定することはできない。みんなそれぞれの苦しみがあって、それは私には想像しきれないことだから。
でも、戦争の話ってとてもデリケートで、色々な考えがあるから、正解が1つだとは思わない。私はあえていうなら戦争を起こした人、戦争を続けた人、みんなに責任があると思う。平和についても、みんなが自分の責任だと考えるべきだと思っている。1番怖いのは、自分の考えだけが正解だと思って、それを押し付けること、そしてそれぞれが考える機会を奪うことだと思う。

 

というようなことを答えました。ちょっと長い答えにはなりましたが、娘は娘なりに一生懸命理解しようとして聞いてくれたように思います。

 

娘は「あんな風に小学生にガイドさんが自分の考えを正解だって教えていいのかなと思った」と言っていました。そういう疑問を持てたことだけでも、私は修学旅行に行った甲斐があったなぁと思います。ただ、目の前ではっきりと「アメリカが悪い」と言われたことは、娘にとっては半分自分が否定されたような気持ちになったのだろうなとも感じました。

娘の中での答えは、きっとまだ出ていません。それでいいのだと思います。

「色々考えさせられる経験だったね。でもこれからも考え続けていってほしいな」と伝えました。

 

 

そしてその後、宮島の水族館を見学していた時にも、ある出来事があったそうです。

お転婆な娘は水族館内を歩いているときに、ヒョイっとベンチをまたいだそうなんです。

決して褒められる行動ではないのですが、それを見た他の学校の修学旅行生たちが娘に言いました。

 

「あーー!ベンチまたいだりしたらダメなんだよ。外人さん!」

「うわ、ダメなんだよ!分かる?外人さん?」

「あ、日本語わかんないか~(笑)」。

 

 

そりゃ、ちょっと濃いめの顔ですが、うちの娘の母語は関西弁やっちゅーねん。

ガイジンって、なんやねん!うちの娘は日本国籍もってるっちゅーねん。

 

娘は傷つきながらも彼らに言いました。

「ベンチまたいでごめんね!でも日本語分かるから。今言ったこと全部聞こえてるから!!」。

 

気まずそうに立ち去った彼らは、それでも一言も謝らなかったとのこと。

 

そしてその後また水族館内で同じグループに遭遇してしまったそうです。

その時も「あ、さっきの外人や」「あ、日本語わかるんだった」とか言われたそうです。

 

 

今、2019年ですよ。

来年には世界各国から大勢集まる東京オリンピックもあるんですよ。

未来を担う小学生がいまだに「ガイジン」という言葉を使うこと、

いわゆる典型的な「アジア系」の見た目でない娘を「ガイジン」と簡単に呼んでしまうこと、

見た目が「ガイジン」っぽいなら日本語が分からないと判断してしまうこと、

それを誰もとがめないこと・・・。

恐ろしくなりました。

 

日本はどれほど時代に逆行しているんでしょう。

 

アメリカと日本の血を持つ子供を産み育てるということを、私は「もう21世紀なんだし、昭和的な差別なんてそうそうないだろう」と正直甘く見ていました。

それでも娘の話を聞くと、このような見た目だけで差別されることがいまだにしょっちゅうあるんです。

「嫌な思いをしたね。そんな中でもきちんと自分の言葉で言い返せて偉かったね」

と娘に言いながら、なんか悔しさやら悲しさやら、様々な感情がぐるぐる回って泣きそうになりました。なんでこんなに暮らしにくいの?なんでこんな風に意味なく傷つけられる必要があるの?

 

正直気持ち悪いです。

何を教育しているのだろう。

多様性とか、人権とか、

よく聞く耳障りのいい言葉って、上っ面のだけのものなんでしょうか。

 

もちろん、こんなしょうもない差別をするのはごく一部の人だと分かっています。

いわゆる「ハーフ」という人たちは何を言われても「はいはい、またか」ってさらっと流した方がいいよっていう考えをお持ちの方もいるでしょう。

でも、悲しい気持ちは否定できない。悔しい気持ちを持つのだって自然。

だって同じ人間ですよ。同じ小学生ですよ。なんでそんな排他的なことを言うんでしょう。

 

 

娘が平和を学びにいった広島であった出来事。

親としてもすごくモヤモヤしましたし、娘はもっと傷ついたことでしょう。

それでも、残念ながら世界にはまだまだ全然仲良くできない人たちがいっぱいいて、自分と違う人をすぐに排除する考えの人もいて、だけどそれは絶対的におかしいことだと娘が実感できたのではないかとも思っています。その思いが小さな光となって、彼女の平和を願う気持ちを育んでくれればと思います。

 

私たち家族もこれからも娘と一緒に考え、傷つき、悔しがります。

そしてきっとこういう経験が、娘を優しく偏見のない人に導いてくれると信じていきます。

 

様々な考えの方がおられることを承知の上で、あえて書きました。

最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。